第一章 試練は、学び、ということについて
その四)親の因果
その昔の日本では、親の因果が子に報い、という言葉は普通に信じられていたはずです。それが、最近、復活したかのように、青少年の間で、親ガチャという言葉が普通に使われはじめました。いい親に当たるか、そうでないかで、子供の人生も決まってしまう、ということのようですが、それは、一面、真理ではあります。両親共に、頭も良く、容姿も良く、経済力にも恵まれた家に生まれた子供は、スタート地点から、多くの子供達とは違うということなのです。そういう発想は、親は選べない、と多くの子供達が思っているから生じたものです。しかし、ひとりひとりの人間のたましいの話となると、たましいは、親を選んで生まれてくる、という立場に、神理の光が当たることになります。つまり、人知では親は選べないというのが、いまの時代の知です。しかし、人間が知らない神知の世界では、親を選ぶことで、人生のテーマに向き合う、というストーリーになります。古い日本人が知っていた、親の因果を子供は背負って生まれているという出発点を持つと、悲しい人間の真実が見えてきます。どうやら、人間は、親の親、そのまた親、つまり、先祖の因果を背負っているという現実です。それは、頭で考えたことと、実際の行動の結果の両方の影響下にあり、そのデータを遺伝子も記録しているという可能性を否定できないということです。
(つづく…)
二千二十二年 八月十九日 積哲夫 記