第一章 試練は、学び、ということについて
その五)国家の因果
さて、親の因果が子に報い、の延長上に、民族の因果が今日の姿に現われているといえるのが、日本国の現状です。もともと、鎖国をして、精神的な安定を得ていた江戸幕府の時代が、黒船の来航から、わずか十五年で、明治維新に到るわけですが、その明治につくられた言葉が「国家」で、日本人は、国を家の集合体とすることを何の違和感もなく受け入れたのです。それが、アメリカとの戦争によって、せっかく、その国家観を自主的に憲法にしたものを捨てさせられ、アメリカの占領軍の法律の専門家ですらない人間を集めたチームが、書き上げた英語の憲法草案を、そのまま翻訳して、憲法として戴いた国家が、今の日本国です。この因果は、強烈です。軍国主義の日本が悪かった、平和憲法は日本が世界に誇るもの、そういった教育が戦後一貫して続けられてきました。その教育効果で、表面上は政府もその他のセクター、特にマスメディアは、半島の国家や大陸の国家に、謝罪する姿勢で保身をはかることができました。そこに、日本国民の心を病む、原因が隠されていることが、これから、解明されていくことになります。ひとりひとりの人間の精神的な成長過程において、重要なのは、自分の価値が認められることなのです。自分の価値を否定された子供の心は、病みます。国の価値を否定された国民の子供の心も病むのです。
(つづく…)
二千二十二年 八月二十六日 積哲夫 記