<第三章>その二

第三章 人間は審判の容器ということ

その二)小宇宙は教育される

人間が小宇宙という出発点には、人間が外的宇宙を内部に投影する仕組みを持っていることがあります。つまり、人間が小宇宙であるためには、外の世界を認識して、その全体像を脳内に投影できるよう、知識を蓄える期間、今日的な言葉でいうなら、世界観や宇宙観を学習する教育システムを持つ必要があります。近現代の学校教育が普及する前にあったそれは、宗教的なもので、一神教なら、この宇宙は唯一の神によって創造されたもの、といった聖書の記述に準じた世界観、宇宙観を人間の脳内に刻印しました。この洗脳とでもいうべき宇宙観から、人間を解放したのは、一般に科学と呼ばれる知の体系でしたが、その出発点は、神の存在を証明するための論理の構築だったとされています。日本が開国した時には、すでに、一神教と科学の分離は進んでいて、聖書という出発点なしに科学が教育可能なものになっていたのです。結果として、日本人は、アインシュタインの、神はサイコロを振らない、という内面的な葛藤なしに、科学を信じることになりました。それが、日本を急速に、西欧文明化させた原動力になったのですが、学校で教育された宇宙観には、神や仏の居場所はありません。つまり、唯物論的な宇宙観を刻印された、小宇宙がその脳内には存在しているのです。

(つづく…)

二千二十二年 十二月二十三日 積哲夫 記