<第三章>その八

第三章 人間は審判の容器ということ

その八)非物質の宇宙

ミクロの世界で、素粒子の振舞いを人間が観察して、この宇宙のことを理解、または、解明したと考えたとしても、それは、この物質宇宙が、人間の意識に見せるひとつの顔に過ぎないのかも知れません。この宇宙は、物質と非物質によって構成され、人間が知るのは、その質量全体の約五パーセントに過ぎないという問題が、そこに横たわることになります。さらに、その先では、この宇宙の中にいる人間には、この宇宙のはじまりの前も、はじまりの後も、知ることはできない、ということに、人間の意識は満足できるか、というところに到ります。ここまで来ると、人間が神について考え続けてきた歴史にも、相応の意味があることが理解できるようになります。人間は神を証明しようとして、あるいは、神を発見しようとして、科学というものをスタートさせましたが、今日までのその歴史は、神というものを見失っただけかも知れないということです。つまり、現行科学の限界は、人間の現在の意識の限界を超えない、という単純な結論に到ります。そして、どうやら、その人間の意識の限界というものが、人間のたましいのルーツとなっている、宗教の神というものに規定されていると推測できるところに、やっと科学的人知は到ったということです。その先の領域の知に到りたいならば、宗教の神を超えたところに、人間の意識が到らねばなりません。

(つづく…)

二千二十三年 二月三日 積哲夫 記