少なくとも、精神界の問題を考えている人間の目には、地球上で、宗教の時代の終わりに近づいて、過去二千年の総決算とでもいうべきタイミングが見えてきました。いまの時点で、私がいえるのは、バチカンにも、エルサレムにも神らしきものはいなかったということです。それらの神または神々は、名前を変えて、日本列島に集まっていたのです。つまり、過去二千年の歴史には、ほとんど神または神々は、責任がない、ということになります。そんな無責任な、と信仰ある人間は、考えるでしょう。ここまでの歴史は、神の名を借りて人間を支配するものと、支配されるものに分けるということを実行するのに、どんな神が必要かと、人間の頭がつくり出した神が存在しないことを証明するためにあったのです。もちろん、そう考える人間の思考の背後には、神に敵対する何者かがいます。しかし、すべてを創造し、すべての所有者である神は、この宇宙の主人であり、その主人に選ばれた特定の人間が、その代理人として、その他を支配することが許される、なんてことを全知全能な存在が許すなどと、発想することこそ、狂気というものです。その狂気が、今日も続いていて、一神教の地球文明の現在があります。神と神々が精神界からのメッセージとして、それは地球の人間の責任だといっているのが、「最終知識」という書なのです。
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精神学協会会長のひとりごと。