この地球上において、神々が人間と共存していた時代がありました。その頃の神の言葉、神界語は古語であるやまと言葉でした。そのオトダマ、コトダマでは、現行人類の脳内においては言語化はおろか、イメージも充分に再現できないものとなっていました。その問題を解決するために生まれたのが「最終知識」という書なのです。そこには、多くのやまと歌のメッセージが記されています。そのやまと歌を、現代の多くの読者は、ほとんど理解できません。しかし、全体の文脈と、そのやまと歌をつき合わせていくと、何となくではあっても、意味というかメッセージがつかめるようになっていきます。精神界という場は、エネルギーの場なので、文字はありません。そこで言葉は、聖書の言葉通りに、はじめにあるものなのです。そこから、イメージが生まれ、現実の事象が生じていくのです。別ないい方をすると言葉がなければ、物質も生まれなかったのかもしれません。そのプロセスを読者が追体験できると、その読者の脳内に、神界語を受け取るセンサーが形成されるのです。過去の真実につながる能力がなければ、人間の歴史の責任は問えません。過去に存在したものたちも、人間の未来には責任があるのです。生きている人間の能力を高めるのと同時に、精神界の存在も現代日本語を使う能力を手に入れていきました。その用意があって、このシンロジアがあるのです。
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精神学協会会長のひとりごと。