ゴールデンウィークの真っただ中に、義父の四十九日の法要が営まれました。
お墓への納骨もこの機会にするということで、会館ではなく、はじめてお寺で行うことになりました。
宗派にもよると思うけど、法要・納骨合わせて約一時間で終わり、近場のお食事処でそれぞれ好きなものを注文しての会食になりました。義兄の家族、別に住む私の息子の家族、そして我が家のメンバーと10人ほどの小規模な集まり。
一世代上の兄弟数の多い世代とは違って、どこの家庭もこれまでとは違った少人数の集まりになり、そのうちに法要自体も縮小または省略されていくのかもしれない。葬儀会館も、お寺も、生き残りをかけて、商魂たくましく、様々な新システムを提案してくれるけど、いささかうっとおしい感があります。要するに、囲い込み的なアプローチが展開され、法要とかに不慣れな人にはある意味ありがたいかもしれませんが、システムに乗った場合、料金もその体系に組み込まれるから、ややお高くなるので見極めが大事かもしれません。
その、法要後の会食中のことです。
息子が、自分の娘の顔立ちが私に似ているといい、自分も子供のころから母親似だといわれていたと語ったところから、私の意識の回転速度が急にスローになる現象が起きてきました。相手の言葉が、内側に入ってこないし、理解が遅い。
「この現象は、なに?」と怪訝な顔で会話に参加していたんだけど、相手には少し不機嫌な顔にしか見えていなかったみたいです。私自身の急な意識の変調がなぜ起こったのか理解できずにいました。
会食はお開きになって息子家族は帰り、私たちは義兄家族の帰る航空便の時間が来るまで、観光名所を案内して回り、夜に帰宅しました。
ひとりになってから、私の内側で何が起こったのかを考えてみました。
キーワードは、『私と顔が似ている』という話題だとわかっていました。
私自身は父親似で、父親の一族は同じような特徴を持つ顔の人が多く、それは父方の祖母からの遺伝でもあったのです。
理由については端折りますが、母方の祖母は、父方の一族を憎んでいました。私の母親の中にも同じような気持ちがあったのでしょう。ですから、父方の特徴を持つ私は、母方の祖母にとっては孫であったとしても、『敵』という認識でしかなかったのだと思います。
子供の私には、それらの事情が全く理解できず、常に攻撃や意地悪をされることがつらくて仕方ありませんでした。母親に似た妹は大事にされてかわいがられるのに、なぜ私は攻撃されるのか? 子供の時から、度重なってつけられる傷と蓄積していくマイナスのエネルギーを抱え込んでいました。唯一、頼れそうな位置にいる父親は、自分自身の内面の傷にも気が付かないほどの精神性の幼さから、逆に父親がもつ怒りを子供の私が処理していたぐらいなので、まったくあてにはできなかったのです。
私の体験からいえば、「父方の顔の特徴がある」ということは、攻撃の対象になるということでした。
今は、母方の祖母も、母親もなくなっているので、たとえ父方の顔の特徴を持っていても全く問題はないのですが、キーワードにより私の記憶の蓋が開いて、意識の底の方に残っていた記憶と、それに付随していた負のエネルギーが浮上してきていたのだと思います。
人生のテーマとしての『学び』だったとしても、長期間にわたって受け続けてきた他人からの攻撃的な負のエネルギー、またそのエネルギーに対抗して私が出した負のエネルギーもあり、精神学を学ぶことで理解して知識(光)に替えたと思っていても、まだ私の小宇宙の底には残っているということ。
これらがあるから、シール類を使っても『最後の審判』まで、なかなか到達することができないのかもしれません。
最後に。
昨年11月に、今年2月に雪崩で亡くなった何田さんに大阪セミナー後の宿泊予定のホテルにて『浄化と上昇』の指導をしてもらった時のエピソードです。
浄化と上昇が終わって、一通り説明を受けた後に、
「『ぎゃくたい』という文字(言葉)が視覚化して見えましたけれども、心当たりありますか?」
と聞かれました。
彼は、恐る恐るという風に切り出してきたのです。
「はい。あります」と答えました。
その時、詳しい説明を何田さんにはしなかったのですが、それは私の子供時代のことだと理解していました。
といいますか、子供時代のことは「いじめ」とか、「不公平」とか、「えこひいき」とかという分野で私自身は考えていたのですが、精神界でははっきりと「虐待(ぎゃくたい)」としてカウントされて記録されていたということがわかり、私としては「正しく記録が残っているのならそれでいい。満足です」と考えたのです。
私がつらかったことを、そしてその精神的な崩壊から軌道修正するのにどれだけの時間がかかったのかということを、当の祖母や母親が認めてくれなくても、精神界にきちんとデータが残っているのなら、何ら問題はないのです。
私の人生の初期から置かれていたそれらの一連の苦難は、私の人生の大きなテーマの一つでした。長い時間、ほぼ一生をかけてそれらを読み解き、私の小宇宙にため込んだマイナスのエネルギーを知識という光に替えて無力化していく。このテーマって、人類にとっては普遍的なものの一つなので、私が自分の問題を理解して読み解くことで、人類全体の負荷がほんの少し軽くなるということにもつながります。
人の考えや行動は変えられません。
変えられるのは、自分の分だけです。
日戸 乃子(ひとのこ)