<第三章>その四

第三章 人間は審判の容器ということ

その四)暗黒の宇宙の中で

人間という小宇宙のほとんどが暗黒という状況は、意識という面で考えると仏教でいう無明ということです。キリスト教でいうなら、見えても見えず、でしょうか。人間が見るためには光がいります。その光という物質界の質量まで含んで、人間が知っているのは宇宙の総量の約4.9パーセントしかないのです。約95パーセントのことを何も知らないで、自分は誰か、自分はどこから来て、どこへ行くのか、と考えるよう運命づけられたのが、今という時代を生きる人間の姿です。この人知には、希望はありません。さらに、いまの人知に、人間の意識は、電磁波や光のように、約4.9パーセントとされる暗黒ではない領域の存在なのか、そうではないのか、という情報もないのです。人間は、脳の中で電気信号で情報処理をしているから、電磁波ということはできます。しかし、虫の知らせという言葉で知られるテレパシー的な通信を電磁波と決める根拠をいまの科学は持ちません。さらにいうなら、科学は奇跡と呼ばれる事象を説明することはできません。ほとんど分からないのが、この宇宙であり、それは小宇宙も同じだと考えるべきなのです。そんな小宇宙の中に、大宇宙の暗黒のことを知る鍵が置かれているという主張が、神知は人知に先立つという法則だと考えてみてください。そこに科学というより認識の未来があるのです。

(つづく…)

二千二十三年 一月六日 積哲夫 記