ひつく文書-07年7月29日
Wednesday, August 1, 2007, 14:13
(2007.7.29 pm9:33受)
やよいのもん
はや
きたるらし
みづのあを
とびこんだ
さきに
まちうける
いきぢごく
いねかりぬ
いねかりの
おはらせたまへ
いきぢごく
でぐちは ここに あるのだと
きづいて それを
めざさねば
しゃように かたむく
まなこの やまに
おほわれ
あたりは くらくなる
ひとの しせんの そのさきに
ほこさき むける
ひとの やみ
はらい やきすて たたかへと
そのいし つらぬく
ゆふきほ もちて
みちなき みちほ
きりひらき
ひとの とほれる みち つくり
あらのの や はら に
おどり でぬ
たづさへ あたへほ
うけた もの
それが なにほ
あらはす か
あなたの カミは
しっている
はためく はたに
なにほ みる
かぜに あおられて
こそ
いみが ある
ひつく文書-07年7月19日
Monday, July 30, 2007, 14:00
(2007.7.19 pm1:03受)
禁じ手を 出したなら
生き石ならぬ
“いきいし”を
生きる意志とは
何を 指す
はやばやと
にげ出した
ものたちに
えんも みれんも
ありはせぬ
かしこみて
たらちねの
すいじゃく すざくの
ははを みよ
とおのいけ
ものは かたるも
あらずを おはず
さんざくの さんじゃく
うるい うるはす
まんがんじ
きこりの もりに
はいらずは
わたらいぬ
わたらいの
いのりの もりへと
はいらずは
まんりょうの ひをかかげ
いきて うごめく
よのすへに
とおかかり なすも
ひをかかげ
はんならの いき
いき どおし
せしめしは
もの しめさずにして
かたるほ おはらず
まちこがれ たし
とおのみね
みずの ながるるさまを みて
いきどほせし
いきどほせし
はん なら の
かり ほ かへさば
つとめは あらぬ
まつり まつる は
まつり びの
け(っ)きょう
はや かけぬけたる ほ
ときの みち
うご け うほひ(おい)の
いき いし となり
かん ならずとは
よめや うひしかも
通信-07年7月13日
Friday, July 13, 2007, 21:06
(2007.7.13 pm4:50受)
うしろを向いては なりません
あなたが選んだ人生は
その他のひとより おもいのです
許容量や ポテンシャルというものが
大きければ 大きいほど
その人間に加えられる負荷というものは
大きなものに なります
ただし、その人間が耐えられる
分量分だけ、
与えられます
破壊し 潰してしまうために
かせられるものでは ない
ということに気付かないと
自らが被害者になったような
気分に陥ります
信頼しているものに裏切られたとしても
その対象となる人間をうらむのではなく
“何かを学ばせてもらったのだ”という
ことに気付かないと 相手に対しても
その感情を持つ自分自身に対しても
不愉快な思いを持ち続けることに
なります
そんなはずが、あるわけがない
という、あなたの常識は
相手にとっては、あてはまらない
ものなのでしょう
その ひとつひとつのことがらに対して
様々な人間的感情をはたらかせると
あなた自身が潰されることに
なります
同じ土俵で、たたかうな、と
言っている意味がわかっていないと
いつまでたっても、次のステージへの
段階を あがることは出来ません
相手の人間的思いや感情、欲望レベルの
エネルギーに操作をされないよう
常に心がけていてください
皆、自分自身が大事で、我が身を守る
ことが 生きる基本的要素として
大半を占めています
相手の欲望レベルのエネルギーに
汚染されると、あなた自身が
その闇のエネルギーを追体験することに
なります。
それらは、しつこくついてまわります
引っぱり込まれそうになったなら
正義とは何なのかを問い続けるように
しなさい
たとえ、相手が喜び、あなたが不遇な状況に
遭わされることになったとしても
その事実のみが 刻印されることに
なるからです
しくみを知らない人間は、自らが我慢し
他者が利を得るということは
はじめから選択するというつもりなど
ないからです
事実のみが刻まれるということを
忘れてはなりません 相手の人間が
たとえ無意識であったとしても
自らの欲望を満たすために何らかの
エネルギーを放出した、ということもです。
当然、その人間当人が責任を負わされ
負債を払わされることになる、ということもです。
正しく書き込みが なされていると
いうことを、自らの最も基本的な場に
固定をして おきなさい
その信念が揺らぐようでは
他者からの エネルギーの影響を
受け続けることになるということを
忘れないで いてください
通信-07年6月24日
Monday, July 9, 2007, 15:59
(2007.6.24 pm3:30受)
かたちとしてあらわれたものを
たてまつる
それらが顕現であり
権現といわれるものの
正体である
目に見えたものとして
実際に人間の意識が
認識をした時
その理解不能な
ある種の存在を
人間は2種類のものに
ふりわけようとする
それが とてつもなく 偉大な
存在か
あるいは 害を与えるものなのか
それらの事実上 目に見えたと
認識された ある種の
エネルギー体としての存在が
人間の頭の中で様々な物語を
つくり出し 様々な空想や
想像というものによって
ストーリーというものは
つむぎ出される
空をかける 龍のようなものと
認識された その存在は
実際に人々が目にすることが
出来た 現象と呼べるもの
それを “神”というものに
見立て そうに違いないと
その位置づけをつくり出したのは
その当時の人間の認識可能な
範囲内での選択にすぎない
時空は一様ではない
天(あま)の鳥船や 空龍と呼ばれる
ものは 実際に空に浮かぶ
それらの認識可能な
可視現象が その時代
その場所で起きたに
すぎない
実体や正体が 一体何ものなのかの
判断のしようがない
飛行物体というものは
いつの どの時代にも存在している
現在の地球という星の科学における
分析能力というものが
それらの実体を解明出来ていないという
事実が存在しているにすぎない
分析出来ず解明出来ない
それらの現象が この地球上において
一体どれほどの物語や神話というものを
つくり出してきたのか
それらの関連性を示しているに
すぎないということに 気付かないと
意識を占領されたまま
とらわれたものとの自らの関連性
というものばかりに気をとられ
肝心の論理性というものを
基準に考えた ものの見方が
出来なくなっているということに
気付きませんか
ミイラ取りが ミイラになる
とは この状況を示しているのです
何らかの関連性が有ったから
気になる というのは当然のことです
ただ その とらわれた状態のまま
1歩たりとも 足を動かすことが
出来ていないという状況に
自らが気付かない限り
客観的に物事を分析するということが
出来ないことぐらい
もう わかっているはずです