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解説通信-10年6月22日
Wednesday, June 23, 2010, 22:05
(2010.6.22 am10~受)

浄化力=情報解析能力

光のルールでは、常に光50%闇50%で、
拮抗している。
つまり、下図のように、正しい光のルールにおける限り、

A=A´、B=B´ となり、処理能力の拡大に伴ない
上下の振幅が大きくなる(激しくなる)
ただ、これは、あくまでも “正しき光のルールに則っている”

解説通信-10年6月22日

Wednesday, June 23, 2010, 22:05
(2010.6.22 am10~受)

浄化力=情報解析能力

光のルールでは、常に光50%闇50%で、
拮抗している。
つまり、下図のように、正しい光のルールにおける限り、

A=A´、B=B´ となり、処理能力の拡大に伴ない
上下の振幅が大きくなる(激しくなる)
ただ、これは、あくまでも “正しき光のルールに則っている”
場合においてのみ、あてはまるものであり、
落ちたまま、本来の正しきルールから外れた
場(=ある種の魔境、魔界といったエリア)に、
その人間のたましいが属している場合、
当人は、自分(のたましい)が、どの場に存在しているのかという状況が、
全く、見えない状態に陥る。
結果、一種のアナザーワールド的世界に落とされている
理由(正確に言えば、自らで足を踏み込んだにすぎない)が
わからないため、その責任の所在を、自分以外の
外部に見つけ出そうとするようになる。
客観的に自ら自身のたましいの存在基盤を観察することが
出来得るものである限り、
そういった迷界的魔境に陥ることはない。
自らの苦境な状況を呪い、自分以外の何ものかを
断罪しようとする意識が、その人間存在のなかに生まれる。
堕ちた人間には、客観的に見ると当たり前のように判断出来るはずのことが、
全く見えないという状況に陥ることになる。
その人間のなかには、そこから自らを救い出して
くれるものこそが神であるという、あきらかな魔界の
思いのエネルギーに自ら自身が支配をされることになる。
何故状況が改善しないのかという問題に対して、
責任の所在を自ら以外のものに求めるようになる。
その行動原理、あるいは思いの領域のなかに
自ら自身が捕らえられているという状況に気が付かない限り、
その人間は、その人間の内部の魔境という場からの
退出、脱出をすることは限りなく不可能に近い。
自らの不幸や不遇の原因を外部の何らかの問題に
求めようとする方向性を捨てない限り、
その、自らのつくり出したに過ぎない魔境からの
脱出、退出は不可能であるということがいえる。
たとえ他者から投入された闇的エネルギーが
自らの小宇宙に含まれていたとしても、そしてそれが、
一方的に送り込まれてきたものであったとしても、
自らの意志で正しき契約をしたものであるという
認識を持ち続けているものであるならば
それらの処理が自らの役割であることに、
当然のことながら気が付いているはずである。
そこに自ら自身の不満や不服、不条理さの主張をし、
言い訳や不平、不満の思いを抱き、それを
口にするものに、自らのその存在の場を知り得ることは、
限りなく難しいことであり、
それが 自らのたましいの存在の場が、どこなのかが
わからない、という状況をもたらすことになる。
その苦境な状況からの脱出を、自分以外の
何らかの存在に求め続けている限り
当然のことながら自らの求めていた解答に
たどり着くことは、甚だ不可能に近いことである。

あなたが主宰する小宇宙の様相を
決めるのは あなた自身であり
つまり あなたが あなたという人間存在の
主人として存在をしていない限り
何らかの自分以外の 存在に
その主人格を明け渡すことになるのである。
自らの小宇宙の主宰者が、健全な意識を持ち得た
人間としての自分自身でない限り
外部から入ってきたものの影響を受け続け
のっとられて操作をされ続けることに気が付かないと
人間存在の意味を喪失した状況で生きなければならない
という未来が待っていることになる。
そのしくみは既に書のなかに知識として
置かれているものであり
何の為に それが このちに置かれているのかを
冷静に考え判断することが出来るものであるならば
自ら自身で その重きくびきを外し
あたらしき未来を切り開いてゆくものとしての
一生を、つくり出してゆくことが出来るものとしての、
“ひと”としての人生を 全うすることができるのであろう
自ら自身が そのことに気付くことができたとき、
それが、あなたのたましいにスイッチが入る
ということなのかもしれません

通信-10年6月8日


Friday, June 11, 2010, 16:32
(2010.6.8 pm5:50受)

電波(伝播?)状況がよろしくないので
こちらへ来た
○○さんとこの様子見がてら
こっちに寄ったとこ、
ナイショにしておるようじゃけど
そろそろ コトが はじまるようじゃ
のりと あげても きかんようになっていることに
いったい どれほどの にんげんが
気付いておるの かの
ふるき ちからの かいめつと
だいたいぶつを 求めるひととの 間で
てんや わんや
てんや わんや
とき ちかづいて おることに
はように 気がつかんと
エライ目に あうことに なることぞ
みたま 磨いて
せっせと 磨いて よういを しておかんと
エライ目に あうことに なるのぞよ
あの ◇◇さん
の ところには すでに でんたつが
なされて おる
もちろんのこと 禁 開示のもののゆえ
積さんに しか 知らされては おらんもの
きける 耳のものの 人数が
そろわん
早(はよ)うに じゅんびを しておひ(い)て
くだされと 言うておる のに
なかなかに ちちとして 準備が
進んでおらん わい
みみの 回路 と 言うとるが
みみから はいってくるのと ちがう
アタマのなかに 届くのじゃ(ぢゃ)
せっせと ハタラキかけてても
ちいとも 気付いて くれん わい
のりとは すれば するほどに
効かんように なっとる わい
要は 誰の 何ものの
イ が乗るのか ということが
重要なのであって
フルきものの ルールでは
効用が 既に 無くなりつつある、
ということじゃ
はように 用意をして おかんかい
伝達すること 有りすぎて
出口が ちいとも 足りておらん
急いでくだされよ
トキ 来よるぞよ
用意をしておいて くだされよ、
頼むぞよ
みなりと
みたまの なり を
きちんと 整えておいて くだされよ
トキ 急ぐるのじゃ
はように準備をしておいて
くだされよ
そなたたち
そなたたち
どん、と、どーん、と
来たときに、
用意をしておいて くだされよ
ひとの用意が出来ておらねば
対処のしようが あるまい が

2009年8月3日の通信


Friday, May 28, 2010, 18:31
(2009.8.3 pm3:55受)

ウシトラのコンジンさんが
その お役目を果たして
去ることに なる と、
伝えてきている ものが いる
去る、ということは
この世のがわから
あらわれ出てから 去り 消える
いくつかの お知らせが
そなたのもとにも 届くで あろう
みな あらわれ 出てきてから しか
去ることは 出きない
なぜ ならば
封印をされてきたものが
解かれて
このちに このよのがわに
出てきてから しか 去り
消えることが 出きない から
ひと つか み
の にんげんの 成し得る わざ
というものが
このちに 及ぼす 影響
というもの
物語宇宙 というものを
終らせたい もの と
けいぞく させたい ものの
はざま なき
たたかいの なかで
つぎの 新しい 未来の ために
その いのちを 燃やし
闘わんと するもの
自らにとっての 居心地の よい 世界観
というものを 出きる限り
ケイゾク を させ
さらなる ま(魔) ちから を
手に入れたいが ために
あらわれ 来ゆる モノ
たち
永劫(えいごう) という
その 魅惑的な ことばの 息吹 を
自らの安平(あんぺい)な未来の ため
だけに
その 意識の なかで
確保 を しておきたい
もの たち
さしずめ それらの まるで
あまい 蜜に 群がる ムシ
たち のような ものども が
たちあらわれては 消ゆり
あらわれては 消ゆり
自らの求むる そのモノ が
いかのもので その何たるかを 知り
その眼中に しかと
突き付けられて
その自らの存在というものを
知る
あまき 心地よき その
かぐわしき 香(かほ)り に 誘われて
脇目も振らずに 学んだことは
その自らの存在たる ものの 実体を
しかと 眼前に 突き付けられたる
こと なりき
古きものの 支配下に
置かれて 意識を 操作されるもの
永劫の えいしつ(永室?)の なかで
居心地のよき 世界観 宇宙観のなかで
その生を 永らえようと
せしめし もの
みずからに とって 得たいものの部分
のみ 見ようと し
見たくもない 事実 というものに
蓋を し続けて いたい と
願う もの
いっせいに 出て
来よる ぞよ
ちの 底から
その 底を 支え続けてきていた
モノ が
出る ぞよ
はがれた 封印が 解かれし
い出し
その さま(様) の ありよう を
あらわし い出し
みなの もとへと (源?)
ふき つむぐる ぞ
つむぐる ぞ
置かれた その 存在の状況のなかで
選ぶる ものは
ふたつに ひとつ
この場にて 放棄を するのか否か
その選択は 各々に委ねられ
それらの ウケヒ 契約のもとに存在をする
契約の履行の為に
その物質として存在をする身体(カラダ)
というものとともに
その生を 全う(完う)するのか 否かが
問われ続けている
ウケヒ ケヒヤク を
履行するもの しないもの
闘う その対象物を
見紛ふ(う)もの たがふ(違ふ)もの
ノリトは 意が乗り イノル もの
何を 目論見 意が 乗るか
こたえは 自ずが 知っている
知り その 責務を 負い 生きるのか
あるいは 放棄を したいのか
委ねられたる もの は
その 選択 なりき
選択 なり き
見紛ふこと なかれ
たたかふべき ものとは
己(おのれ)の こと なりき
なりき