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通信-10年12月28日
Wednesday, December 29, 2010, 11:45
(2010.12.28 pm8:35受)

たらぬところを おぎなえば
ひとは あらたに かわるもの
大きな失敗を してみなければ
何が起因していたのかを
知ることは ない
人は 叱責 することなしに
くじけた 理由を 知ることもなく
自らの正当性を つらぬき通す
進みゆき つまずいた先にしか

通信-10年12月28日

Wednesday, December 29, 2010, 11:45
(2010.12.28 pm8:35受)

たらぬところを おぎなえば
ひとは あらたに かわるもの
大きな失敗を してみなければ
何が起因していたのかを
知ることは ない
人は 叱責 することなしに
くじけた 理由を 知ることもなく
自らの正当性を つらぬき通す
進みゆき つまずいた先にしか
見えないこたえが あることに
目を向けない人間が
どれほどまでに 多いことなのか
あたらしき みちを ひき
そして 次へと進んでゆくために
提示が なされていた その課題とは
あなたがたが 自らの意志とともに
次への階段を一段、上がる、ためのもの
つくりつづけた そのみちは
あとから来られる かたがたの
礎(いしずえ)となり
いくたびもの試練を越えて
乗り越えてきた
あなた、あなたがた自身の
あかしとなることに なるのでしょう
みちを ひく、ひととなりなさい
あなたが歩き、ならした みちは
あなたがたの あとから 来られる かたがたの
負荷や負担を減らすことになります
あとから 来られた かたがたは
あなたがたの
みちを ならして あるき易(やす)くしたはたらきに
心からの感謝をし
できる限りの困難のリスクを
あらかじめ 減少させる はたらきを して
おいてくれたことに
感謝をすることに なるのでしょう
何故、今、この時代を わざわざ選んで
生まれて、こられましたか
その、こたえは、あなたのなかに、
必ず、あるはずです
“契約”という そのことばの意味を、
いま、いちど、自らに 問うてみて、ください
時間が、一方方向にしか 流れないことの
意味も、考えてみて、ください
未来に向けて、あなたは
何をする人に、なりますか
あなたが 選んだ、その人生の意味を、
あなた自身の そのたましいの核となる
中心に、お尋ねになって、みてください
そこに、かならず、
こたえが置かれている、はずです

(2011年に向けてのメッセージ)

通信-10年11月24日

Friday, November 26, 2010, 12:35
(2010.11.24 pm10:00受)

“うつくしいひと” とは、
常に前向きで、
努力をし続け、
何があっても、
決して最後まで、
諦めない、ひとのこと。
清らかで、澄んだ、こころを持ち、
常に、自分として、立ち続けることの、
できる、ひと。

通信-10年10月27日

Wednesday, October 27, 2010, 19:01
(2010.10.27 pm2:24~受)

帰りぎわに見てごらん
自分の性格、人間性そのものを
よく、よく見てごらん
相手の闇に反応をして
それに影響を受けているようでは
乗っとられてしまいかねないことに
気付いて下さい
今や大勢の人々、人達から
すさまじいまでの 闇の、マイナスの、
エネルギーが噴出し出しています
しくみを知らないものたちは
自らのなかで そのマイナスのエネルギーを
増幅し、拡大再生産をしたものを
自らの外部へと向かって
放出をしはじめています
それらのしくみは加速度を増し
かつてとは比べものにならないほどのスピードで
このクニそのものを 飲み込もうとし始めています
崩壊のしくみのなかから
新しく 生まれ出ずるものの存在と、
その、しくみ。
自らの状況を客観的に見つめ続け
どのような状況下に置かれているのかを
冷静に判断することが出来なければ
呑み込まれます
光のある間に歩き、
闇に追いつかれないようにしなさい
という そのことばが
自ら自身のたましいに向けて伝えられていることに
気付いて下さい
足もとの一寸先は闇です
冷静な判断と対処が出来なくなれば
あっという間に闇の中に呑み込まれます
その世界で 生きることを 希望するものには
その世界でのルールに基づく 生き方をして
その生を終えることに なるのでしょう
どうするべきか、何を為すべきかの判断を
するのは あなたがた自身です
自分が、何を、どうするべきなのかを
考え、判断をするのは
あなたがた自身である、と、
お伝えをしているのです
自分が どう判断をし、どう動くのかを
最終決定するのは、
ご自身である、と、お伝えをしているのです
人に 頼り続けている限り、
いつまでたっても 自分を信頼、信用することが
出来ないままに、その判断を他者に
委ね続けることに なるのです
他人に 指示を あおいだ、から、
結果的に 良い結果を 手に入れることが
出来なかったとして、
その指示をした人間の責任に
することが出来ると 思い続けていたいからです
つまり、あの人が、こうしたら、と言ったから
結果、こうなった、だから、あの人の責任であり
自分は指示通りに 動いただけだ、
という 言い訳、言い分というものが、通用すると
思い続けていたいからです。
自らの責任において、自らの正しき判断のもとに、
動き、実行をする、ということ、
そして、その責任は、全て自らの範疇(はんちゅう)の
ものであるということの
自覚をした上で、動いて下さい
人を頼って、その人の意見を求め続けて
動いている限り
自らの自主的な行動、その行動のもととなる
存在基盤というものは 望めないのでしょう
自らに自信がない、だから、人を頼り、
人に依存を、する
求めていた結果を得られなかった、として
それは そのアドバイスをした人間の
責任であるから、自分のせいではない、
その、ものごとの考え方のなかに
自分自身がいることに気付かない限り、
いつまでたっても 自信が無く、他者の意見を
求め続けるものとして 存在をすることになるのです
何を、求めて 学びを得ましたか
羊も、羊飼いも、要らない
それが必要な時代は終わりました、
と、伝え続けているのです
自らの頭で考え、正しく判断をし、
行動を、する、“ひと”と、なりなさい、と、
お伝えをしているのです
崩壊をし続けてゆく、これまでの社会の
あり方の仕組みのなかで、
どのような未来を自らの手でつくり出してゆかなければ
ならないのかを、考え、実際に動き、
行動をしなければ、意味は、ないのです
身体を持ち、意識を持つことの真のイを
お伝えし続けているものとは、
何なのでしょうか、
どのような、あり方が、つぎの時代に
求められていると、思われますか
どのような 人間のあり方が、
どのような 社会のあり方が、
求められ、そして問われていると、お考えですか
未来に対する ビジョンを、クリエイトしてゆくために、
何を、どのようにしてゆくことが 求められているのでしょう
自分自身と、その周囲の環境が、
良いものであれば、そして ご自身が生きてこの世に
存在をしている 時間軸の一区間の間だけ
楽しく幸せなのであれば、それでよいのですか
志 こころざし、と呼ばれるものが、高いほど
そのヴィジョンは 大きなものになります
そして そのビジョンを現実化させるために
必要なものが何なのかを 考えはじめます
どのような準備が
必要とされているのかを計画的に考え、
実現化に向けての現実面でのプロセスを考え
行動をします
何に対して、どのようなビジョンを持つのか、
それを現実のものとしてクリエイトをするために、
何が必要なのか
それを考え実際に行動を起こすのは
あなた自身でしか、ないのです
つまり、判断と行動は、あなた自身に委ねられているのです
ご理解をしていただけましたでしょうか

通信-10年10月6日

Thursday, October 7, 2010, 14:26
(2010.10.6 pm3:06~受)

遠まきに 見ておるぞ
いつやるのんかと
見ておるぞ
とっかかり
目には見えない とっかかり
重い しり 動かねば
事態は 何にも 変わらんぞ
飛び込んだ さきに
何が 待っているのかは
飛び込んでみてからにしか
わからない
早とちり してみて わかる
きどう(軌道)の 違い
きどうは 修正できるもの
それは自らの はたらきでしか
ないため だから
見落とした 部分 とは
見落としてみて はじめて 気付く
それ、あとのこと
落とすの こわくて 一歩も 動けない
でも、そうしている間に
人生の残り時間は
どんどん 少なくなってゆく
後悔をしてみたところで
時間は一方方向にしか 進まない
おいてきぼりを くった、と
思い込んでいる その間にも、
自ら自身が じっとそこに
突っ立ったままであるという事実にさえ
気付かぬままに
時間は どんどん 過ぎてゆく
自らの 足で歩こうとしないかたに
費やす じかんは ないのです
あたまのなかで 考えていても
実際に うごき 行動をしなければ
意味は ないのです
そのために、身体を持っていることに
気が付かないと、
意識と身体を持ち合わせて
人間社会のなかで はたらくという
基本的なことにさえ
気付かなく なってしまうのです
正しく行動をするために
正しき方向性を持った意識を
キープする、ということ
そのために 浄化と上昇というシステムの
用意が なされている
きほん です
健全な 意識を キープする、
保持をするということです
そして 揺らがないこと です
意識が 散漫になり
不安や 恐怖心を 抱くと
次に やって来るのは 疑心感です
ひとつのタネを 何百倍にも
何千倍にも ふくらませて
次に やって来るのは 不信感です
そうやって 意識は
不明瞭な 状況に 陥ってゆくのです
ひとが ひととして 正しく生きるべき
ある種の方向性のようなもの
中心軸といわれる
まっすぐな 柱のようなものが
まったく見えない状況に
陥ってしまうのです
何を、するために、
今回 にんげんとしての 生を得たのかが、
わからなくなると
基軸を 失う、という事態が
発生します
ご主人さまが お留守になると
そこには 別のものが
居座ることに なるのです
その、居座ったものの 意向を実行するために、
あなたは 残りの人生を 費やすのですか
じぶんが じぶんで あるために、
主人格である 本人の 自意識が目覚め
確立が なされていないと
入ってきたものの言うことを聞いてしまうことに
なりかねません
まるで 別人格が しゃべっているような
状態に陥る ということは
何らかの阻害因子が
そのかたのなかに含まれている
ということなのでしょう
目つきや 顔付き 表情の変化
というものは、 顕著に あらわれます
取り除いてあげることが 出来るのであれば
そのかたの負荷を軽減させることは
出来るのかも しれませんが、
また 復活してくる 場合もあれば
ご当人が わざわざ 呼び戻しているという
場合も、あります
ご当人が そのことを自覚することが
できたときに
問題は解決することなのかもしれません
ただし、決して 上から目線で
伝えることだけは しては ならない
ということを、常に 気を付けておいて下さい
そうやって 相手のデータを読む能力を
持った人間が 多くの宗教集団のなかには
必ず置かれ、その人間との関係性を
縄のようなもので、つないでおくために
利用がなされてきた という事実を知っておいて下さい
支配、被支配の関係性というものが、
生まれてしまう 危険性を はらんでいるためだからです
してあげる、ということばのなかには
ある種の意味が込められていることに
気付いてください
じぶんが、やって、あげたから
相手の状況が改善した、というおもいがあると、
相手と自分との間には
目には見えない糸のような関係性が
生まれます。
その 糸に乗って 様々な 情報やデータ
もしくは ある種のエネルギーは
ダイレクトに つながります
それが、人間関係、といわれているものの
実体であり 正体です