2012アーカイブ-0426-0127

通信-12年4月26日
Friday, May 18, 2012, 14:16
(2012.4.26 pm9:~)

自分がなりたかった、
ものに、
なりなさい。
そのために、自分で、
努力を、しなさい。
たとえ、まわりの人が、
“あんな風になりなさい”
“こんなことをしてみたら?”
と、言ってきたとしても、

通信-12年4月26日

Friday, May 18, 2012, 14:16
(2012.4.26 pm9:~)

自分がなりたかった、
ものに、
なりなさい。
そのために、自分で、
努力を、しなさい。
たとえ、まわりの人が、
“あんな風になりなさい”
“こんなことをしてみたら?”
と、言ってきたとしても、
あなたは、
あなたがやりたいことを、
一生懸命努力をして、
やってみてください。
もしかしたら、途中で、
くじけそうになることが、
いっぱい、何度も何度も、
起こるのかも、しれません。
そうしたら、その時に、
自分は何をやりたくて、
何をするために
生まれてきたのかを、
いちど、考えてみて下さい。
その、こたえは、
あなたのまわりに
あるのではなく、
あなた自身の中にしか、
置かれていないことに
気が付いたら、
どんなことが、やりたかったのか、
どんなことをするために、
生まれてきたのか、
その、こたえが、
いつか、きっと
わかる日が、
訪れるのだと、
信じています。
あなたが、
あなたの人生を、
一生懸命に
生き抜く日が
訪れることを、お祈りしています。

通信-12年4月20日

Monday, May 7, 2012, 17:11
(2012.4.20 pm10:45~)

見えたものしか信じない偽善者たち、
それが、今の、この時代の象徴とも
言えるものたちなのでしょう、
与えられた報道のみを信じ、
それを信じて疑わないものたち
それが何の意図を持って操作されたものであるのかを、
自分の頭で考えたことが
あるのですか
利用されているという立場を自覚することが
出来ない限り、
永遠の使われる羊であり続けることに
そろそろ気が付いた方がよいのかもしれません
見えているものにしか 信憑性がないと、
言い切れるものたち、
その、根拠となるものとは、一体、何なのですか
あなた方に示唆された
その告知内容について、お考えになられたことが
ありますか、
人の世の中で、図象として示された、
あらかじめに告知がなされていたことが
何なのであるのかを、
真剣に、考えてみたことが、ありますか
あらかじめ、告知が、
なされているのです
よいですか、
あらかじめに、告知が、
なされて、いるのです
まがいもの、その他、いかがわしい、つくりもの
それらの区別 と、仕分けをすることが
出来なければ、
操作をされて、支配をされ、
そして、家畜のように飼い殺しにされて
この世を去ることになるだけなのです
いかがわしい、つくりもの、と、判断をされるもの
それに対して、あらかじめ
予告がなされて、告知が既に
この地に預けられたもの
どちらが 気違いじみていて、
どちらが、あらかじめ予告がなされて
告知をされていたものか、
その判断をする技量というものを
あなたは持ち合わせているのですか
否(いな)ですか
自らの芯となるべきものに問うてみること
なのでしょう、自らの芯となるべく
あなた方の存在の中に置かれているもので
あるのなら
その回答というべきものを、
あなたの意識下にもたらしてくれている
はずのことだからです
それが偽りのものであるのか、
あるいは 真(シン)なるものであるのかは、
正しき回路につながっているのであれば、
その意識下に、きちんと届けられるはずの
ものであるからです。
見てみなさい、それらの事実を露呈するものが、
既にこの世に、幾人も
生まれつつある、という事実を。
歴史上に置かれている記実が、
何をあらわ(顕、現)し、何を、先に伝えていたことで
あるのかを。
あらかじめに告知は、なされ、
あらかじめに、伝達は、なされていた、
それを、検証をし、人知として
認識の基(もと)に置くことが
出来る人間が この世に顕れるのか
否かを、今の時代において
検証がなされている、ということが
正しい、こたえ、なのでしょう
知るものは、知り、
そして、そして知ろうとしなかったものは
知り得ることが 出来なかった、
それだけの 話でしか、ありません。
意図されていた それらの筋書き
そして、予告内容を、読み解けるのか
否なのか、まがいものと、シンなるものの
見分けと区別が、出来るものであるのか
否か、
その判別能力を持ち得ているものであるのか
否か、
今、この時代のこのちにおいて、
生き抜き、そして学びを得ることが
出来るのか、否か、
それらの選択は すべて
ひとりひとりのにんげんに 委ねられて
いることの意図を知り、
次のステージへと進むのか 否か
それらの選択権は全て、
ひとりひとりの意志に委ねられている
ということの 意味を 知り得たもの達から
次のステージへの扉というものは
用意がなされているものなのであろう、
知り、そして、そこで学びを得たものから
用意がなされ、
次へと進むことの意味を知り得たものたちから、
次のステージへの扉は開かれることに
なるのであろう、
あなた方に与えられた選択権というものが
何を意図し、何を示唆されているもので
あるのかを、
いち早く学び取ったものたちから、
次の時代への駒を進めるものと
なるのであろう、
チャンスを与えられていることの意味を知り
それに気付いて実行をしはじめたものたちが、
次の時代への選択を選び取り、
そして、その次の時代のもの達へと
引き継いでゆく役目を担うことになるのであろう、
問い、その正しき解答を得るために
問い続けることになるその対象は、
あらかじめ、あなた方のもとに与えられ、
そして、委ねられているのです
自らの生きる目的を発見することが出来たものは、
自ら自身の存在する意味を発見し、
それを次へとつなげることの出来るもので
あるからである。 意図する“目的”というものを
見つけられましたでしょうか、

通信-12年3月13日

Tuesday, March 13, 2012, 15:40
(2012.3.13 am10~)

“お願い”、“ご依頼”、
“不平”、“不満”、“文句”、“愚痴”、
いつまで、
あなた方に 耐えておられようか、
いつまで、
あなた方のそばで
これらの 口汚ない ののしりを
聞き続けなければ ならないのか
はじめから 与えられている こたえに
目を向けようともせずに
自らの 見たいものにしか
目を向けようとしないものたち
一体 いつまで あなた方に
耐え得ることが できるのであろうか
自らの選択と、
参加をすることの意味を
よく よく 考えてみて下さい
“やらされている”、
“自分だけが 不遇な目に 遭わされている”、
その おもいの かたまりの エネルギーが
一体、どこから生産されているものなのですか
あなた方に残された時間は少ない
いつまでも いつまでも
親離れの出来ない 子供のような にんげんが
どうやって 世のため 人のために
はたらけるものに なることが できるというのか
自分で決めて判断をし
行動に移すことの出来る にんげんが
あまりにも少ない
“やらされている”という その不満のおもいのエネルギーが、
どこに向けられているのですか
自らが被害者である限り
自らは加害者ではない、という言い訳は、
一体どこから沸き出て来ているものなのですか
あれほどまでに
自らで処理をすることの意味を
語り続けているのに、
あなた方には、まだ
わからないとでも いうのですか
“ひとりひとりの にんげんが
審判の容器になる”、といい続けていることの意味を
よく、よく考えてみて下さい
それでも まだ、わからない、というのであれば、
この場を 立ち去ったほうが
あなたの 身の安全は、はかれる、
ということなのでしょう、
はたらき手を 必要としているのであって、
足を引っぱる存在は
必要とされては いないからなのです
ご理解をして いただけましたでしょうか

通信-12年1月27日

Friday, January 27, 2012, 14:33
(2012.1.27 am11~)

わたしは あなたがたを
助けに来たのでは ない
あなたがたの中に
火を 投げ込みに来たものである
火を投げ込まれた 小宇宙には
内部に含まれるものが
あぶり出され
それらは 意識上の 小宇宙の中に
投影されて
噴出をしてくる ものである
炎上し 燃え尽くされた
その小宇宙の中に 最後に残るものが
何なのか
焼き尽くされた 炎が消えて
その後に 最後に残るものが
何なのか
進行中のこと それらは全て
物語宇宙における プロセスに過ぎない
焼き尽された その小宇宙の中に
最後の最後に 残るもの
それでも なお あなたは
あなたが 目指すものが 何なのかを
それを 自らが 知ることに なるのであろう
その ベクトルとでも 言うべき
進化の方向性のようなもの
それが 物語宇宙の 在るべき
本来の様相 有様で あり
物質宇宙と共に存在をする
個々の小宇宙の 進化の法則性といわれるものである
見えぬ 聞こえぬの
その暗闇の中で
必死に助けを求めて もがくのか
あるいは 自己の小宇宙の根の根の底まで
見尽くして
その正体が 何に由来をしているものであるのかを
見極めるのか 否か
選択をする ということである
火が投げ込まれて
炎上をした 小宇宙に
映し出されるものが 何なのか
それらを じっと見据え 見極めることを
完遂しない限り
次のステージへの用意は なされていない
ということである
駆逐をしたものには
駆逐が なされ
虐げたものには
虐げが 待っている
その罪と報復の連鎖を
断ち切りたいのか 否か
終わらせるのか 否か
それらを あなたが
あなたが 決めなさい、
ということが 問われているのである