2018アーカイブ

通信-18年8月29日
Wednesday, August 29, 2018, 15:49
(2018.8.29 am8:15受) 

自分が可哀そう、自分が不幸だ、
と言って泣く人は、
単なるエゴイストであって、自分のことしか
見えていません。世の中には、もっと
苛酷な家庭環境、生活環境で
生きなければならない人達が
大勢存在しています。

通信-18年8月29日

Wednesday, August 29, 2018, 15:49
(2018.8.29 am8:15受) 

自分が可哀そう、自分が不幸だ、
と言って泣く人は、
単なるエゴイストであって、自分のことしか
見えていません。世の中には、もっと
苛酷な家庭環境、生活環境で
生きなければならない人達が
大勢存在しています。
それらの状況を、周囲で、この世で起きている事を、
俯瞰して見ることが出来ない方達、というのは、
自分のことにしか、興味が
無いかた達なのです。
そのかた達を、“エゴイスト”という名称で
呼ばれることのある人達なのですが、
いかんせん、自分の人生というものにしか
興味を向けることが出来ないため、
他者や周囲で実際に起きている出来事について、
関心や、興味というものを
持つことが出来ない方達(方々)のようなのです、
つまり、
自分の不幸が、何故なのか、
という原因と、犯人探しをして、
自らの闇の小宇宙という場に
閉ざされたまま、の方たちなのです。
残念ながら、そのような方達にとっては
自分の人生というものが、
一番大事なことのようなので、
世の中を変えてゆくために、
自らの意志で、はたらく、という動機のようなものが、
存在していません
何故なら、自分のことにしか
興味を持つことが、出来ない
方達だからです。
人様(ひとさま)のために、
世の中の何かのために、
身体のあるうちに、意志を持って
行動することが出来ないかた達は、
自らの内側の事にしか、
興味がない、方達だからです。
そこに、「大義」という日本語は
存在をしていません。なぜならば
そのような概念を、自らの存在基盤の中に、
揺るぎないものとして、
常設をしておくことが出来ない
方達だからです。
自分さえ、快適で、安心して、生きていればいい、
という主張をするものが、
不動のものとして、そこに、居座って
いるからなのです。
多くの日本人は、そうやって、
自分と、自分の家族だけが、
機嫌よく、不幸にもならずに、
生きて死ねたらよいと、信じて疑うこともなく、
この戦後73年間を生きて、それを続けることに
邁進(まいしん)してきました。
ですが、その偽りの、ハリボテのような、
見かけだけの幸福は、
終わることに、なるのでしょう。
この、世の中で現実に起きている
歪(ゆが)みや、歪(ひず)みのような現象の
そもそもの、きっかけとなった原因
というものが何なのかを、知らないと、
それを解決するために、一体何が必要なのかを、
考える事すら、出来ないということに、
そろそろ、気が付いては
もらえないでしょうか、
歪(ひず)みや歪(ゆが)みの原因となっているものを、
正しく補正してゆくために、
どのようなものが必要とされているのかを
考える、という事なのです。
自分のことにしか興味のない方は、
自分のことにしか、興味が、無いのです。
世の中のしくみを改善してゆく為に
どのようなシステムが必要なのかを、
考え、実際に行動に移してゆく、
という事が、求められている、という事なのです。
全体像を、俯瞰して見た時に、
何が、どのような姿が、見えてくるのでしょうか
改善すべき点が何なのか、あらたに
どのようなしくみを、つくらなくてはならないのか、
それらの様相のようなものが
見えてくるはずです。
来るものは、拒みません。
去るものも、追いません。
何のお勉強をしなければ、
次のステージへ足を進める事が出来ないのかを
冷静に、客観的に捉(とら)えてみれば、
自ずと、こたえは、見えてくるはずです。

通信-18年8月2日

Tuesday, August 7, 2018, 15:35
(2018.8.2 pm10:18受) 

人間が、何に対してペイメントをするのか、というと、
自分の人生に関しての不安を、払拭し、緩和したいが、ために、
おカネを使う、ということである。
良くも悪くも人間というものは、
自らの人生に関する、負債というものに対する
支払義務が存在しているという事に、
目を向けようとすら、していない。
我が物顔で闊歩してきた人生の、
その、終着駅に近づいた時に、
ようやく、はじめて、それまでの人生の
総決算というものを、眼前に、つき付けられるという事態に、
向き合わなければならないということである。
様々な道のりを通して、
“あなたは、一体どれだけの学びを経て、
それを乗り越えて来たものなのか、”
という事実が、徹底的に問われる、ということなのです。
見たくもない事を回避させるために、
見て、見ぬふりをし続けてきたもの、
うしろめたい事実を、無かったことのようにして、
見て、見ぬふりをして来たもの、
あなた方の、こころの内(うち)や、
口から発した、その物事は、嘘いつわりが無く、
真実の事のみが、現在(いま)も、記録が、なされ続けている。
そう、それはまるで、
映像記録を、映し(写し)撮られるかのように、
克明に記録がなされ続けている、という事なのです。
周囲の人様(ひとさま)に、
称賛されるような生き方、と、表向きに
判断されていると思う、その裏側に、
どのような、こそくさと、陰謀が、押し隠されてきたのかを、
知らないとでも、思っているのですか、
“自分は悪くはない”と、主張をする その顔の裏に
どのような本性が、隠されているのでしょうか。
滅んでゆくもの達の話に、耳を傾けている時間は、
もう、ありません。なぜなら、
次の時代のための用意を、今すぐにでも
はじめなければならないからです。
“ああでもない、こうでもない、”という井戸端会議だけをして、
終るような、無駄な時間は、
もう、これ以上、残されてはいません。
次の時代のために、どのようなアクションを
起こすのかが、1人1人の人間に対して、
問われている、という事なのです。
時代は既に、もう終わり、次の行動を起こすための
変革が要求されています。
それらの事象に気付くことが出来ても出来なくても、
一人一人の人間に対しての
現実面における行動というものが、既に
求められている、ということなのです。
決定的に問われるのは、意志であり、
それに付随した、行動力、というものです。
机上の空間上の世界で、生きていたい人達に、
未来は、ありません。“ああでもない、こうでもない”
という、もっともらしい意義主張をして、終わるからです。
それすなわち、『何の行動も、起こしませんでしたね。』 という結論を、
お伝えするしか、ないから(ないためだから)です。
残念ながら、それで、多くの人達は、去ってゆかれることになるのでしょう。
何故なら、“あなたは、何をするために、生まれて来たのですか”という
提議に対するこたえを、
出すことが出来なかったかたとしか、
お伝えのしようがないためだからです。
“ああでもない、こうでもない、”と 言って、
議論をし、おしゃべりをして時間を潰している暇があるのなら、
一刻も早く、行動に移しなさい、という事だからです。
「自分が、何をするために、生まれて来たのか、」
の、こたえは、ご自身の中にしか、存在をしていません。
どこかの何かの、お導きというものを
待ち続けている人間に、人生の残りの時間は
どんどん、少なくなってゆくのでしょう。
自らの中にある、ある存在の鍵を開けることが
出来るのか、否か、は、ご当人の自覚次第なのです。
あなた方が、その能力を
果すことが出来ずに閉じられてしまう、その前に、
実践をして頂きたい、という事があります。
それは、“自らの人生が、ここで閉じることになったとしても、
ひとかけらほどの後悔が、無いのか?”という事です。
“あれをしておけばよかった”という事は、
人間としての身体が無くなった後では実行することが出来ないためだからです。
ひとりひとりの人間の、肉体としての身体を持つ
残存時間は、たかだか、数十年です。
ひとりひとりの能力というものが、試される、という時期に、
既に、もう入っている、ということなのです。
それらのことを、よく、お考えいただきたいと思います。

通信-18年3月7日

Wednesday, March 7, 2018, 11:18
(2018.3.7 am9:20受) 

“他人の人生、
 他人の、たましいに
 関与して、
 是正(ぜせい)をしようとする。
 それが、
 宗教魔界というものの
 正体です。”

(そうやって、自分に依存をさせて、
 自分の足で歩くことの出来ない者を増やしているのは、
 何者なのか、ということです。)

ご連絡-18年2月22日

Thursday, February 22, 2018, 11:55
(※サイト管理人よりご連絡)

2015年12月に、
過労で自殺された、
電通社員の女性の方が、
こちらに来られています。

ご関係者の方、
命の書の登録をなさることをお勧めします。

同じく、
1991年8月に、
過労で自殺された、
電通社員の男性の方も、
こちらに来られています。

ご関係者の方、
命の書の登録をなさることをお勧めします。

以上

https://www.godbrain.com/book-of-life.html

————-
※補足

91年に、
亡くなられた方は、
24歳でした。

その24年後の、

2015年に、
亡くなられた方も、
24歳でした。

2+4 は、6
2+4 は、6
2+4 は、6

666 です。