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ひつく文書-08年9月30日
Wednesday, October 1, 2008, 11:54
(2008.9.30 pm10:00受)

ついに
はじまった ぞよ

通信-08年9月18日
Thursday, September 18, 2008, 15:42
(2008.9.18 pm0:44受)

よろづ(ず)のよ
みちみちて
まよいて きたりた

ひつく文書-08年9月30日

Wednesday, October 1, 2008, 11:54
(2008.9.30 pm10:00受)

ついに
はじまった ぞよ

通信-08年9月18日

Thursday, September 18, 2008, 15:42
(2008.9.18 pm0:44受)

よろづ(ず)のよ
みちみちて
まよいて きたりた
さんどめの
とおき よは
よはねの よ
いくたびの みちのりも
きえず まみへず
すべからく よういされ
こはいろは たしかなる
うごかせし
みのある ゆくへと
ともに いき
もくとせず
とつとせむ
きり かかる
その ゆくへほ
あらみ
きかしめし
うごかせし

通信-08年9月16日

Wednesday, September 17, 2008, 13:11
(2008.9.16 pm11:35受)

あなた方は、一体、
誰の身を売って
金もうけを したいもの達なのか
人民に知らしめるべき こと、とは
知識であり、
その御身を十字架にかけるという
ことでは、ないはずのことです、
一体、どういった行為を、
あなた方は、強いていると
お思いなのか、
まだ、お分かりには、なりませんか、
人々の前へ 連れ出して、
“ほら、このお方が、そうである”
という おこないをして、
おかねをかせいでいるもの達なのでは
ないのですか、
そのような、おこないが、どういった
影響を、お与えになっているのかを、
あなた方は、知ろうとは
しないもの達、
なのです。
イエスが、してきた
かずかずの おこないを、
人々に、見せ、知らしめて
おきながら、自らがそれにより
利益を得ようとしているもので
あることを、
何故、直視しようとは
しないのか、
どういった影響が
直接もたらされるのかを、
あなたがたは 見ようともしないから
それが 見えないのです
態度にも顕わさず
表情にも、口にも出されないから、
皆、それが、どのようなダメージを
お受けになられているのかを、知るよしも
ない
イエスを売り 金もうけをしようとする
もの とは 一体誰のこと
なのでしょうか
お伝えして 知らしめるべきもの
とは 知識であり
ひとの子を 殺す 手段
では ない
負荷をかけ そうとうな
ダメージを、与えているものが
一体何なのか、
それを冷静に判断をしてみて
下さい。
自らの正義が
悪魔の手先にさえ
なり得ることが できる ことぐらい
もう お気付きのことのはずです
賢いもの ほど
ワナに はまり易い
何故ならば
自らが 仕かけた ワナには
はまることは 無いと
信じ切って
いるから なのです、

通信-08年9月7日

Tuesday, September 9, 2008, 12:55
※白山ヒメ神社における通信

(2008.9.7 pm4:35受)

このちとの
やゆ
けひやくの
みこと ふみ

(2008.9.7 pm4:40受)

そちの のぞむる もの
あ(な?)らば
なかば たましひ
うまれ かひ

通信-08年9月6日

Tuesday, September 9, 2008, 12:54
(2008.9.6 am10:55受)

とらわれの みと なりぬるものに
いしきの めざめというものが
おとずれるひ などは
ありはせぬ
みみの いみする そのいみを
かいかぶりては はきちがい
うごめく まものに きくみみを
そばだて みみを すましても
あらしの まへの しづけさは
おのれの いみする
ゆくへのなかに
あらそひのなき
そのよの すがた
み まちがへたる さきよみの
つづく つなぐる そのみちは
たすけを よぶこへ そのものに
つなぐる いのちの さだめとは
つかひ むちうつ その
みの なりと
むろ と たいふう
さけぶる そのみ
いわく つきの そのみのなりに
きづく ものふの
そのなり は ころも
もろとも たへ(ふ?)ふる
そのみ とりもどし
たくば いのち ひきかへ
きれた ち ぎれた
ものふの その よ
くるしくも かな
かなしき も あり
うごめく ま もの
ものふ の よ
み まちがへたる
ものふ の よ
かくも あらじ
そのみ と なりは
かかえ つつある
まがひ(い) の もとひ(い)
くるしくも かな
さわがしくも あり
かき うつしたる は
さまわり の
その つながり に
まどはされたる
うつしみ と
かたづけを おえたき
その つながり は
もろみの たみの
うつし と たり は
はる ながく つづく
あき の おわりにて
もろ たみ の み をも
ざわざわと さわぎたつ
そのすいめんかの うごき とは
なにを もって
その みとなりを まっとうを
するものと なりうるのかの
みをたてて ゆく みちと
なりをもつ その
はざま と ゆくへ
とらわれのみ と
なりうるものに
その しらせと いみが
うち つらぬき たるを しり
み まかせ ゆだね うち
つらぬきたるを しる
もつ み と その ゆだねるを
しり うごかし みちびきたるを
しり とりとめの なき その
いきざまを しり
ものふの よ ともに
いき たまへ
はいた はいじょの せきむを
おう は
そのみ たり との
やくめ なり
たるし かるらん
あが いのち

通信-08年8月18日

Monday, August 18, 2008, 17:03
(2008.8.18 pm3:35受)

せんさ ばんべつ(千差万別?)の
意味を、知れ
とざされた ものの
かいろの かぎを
あけるには
どりょくや ねついが
ひつような わけでは ない
うごかされた じくの
ほうこうの さし しめす
いとの い とは
あなたが たにんの
じんせいを かえる
ことでは ない
ひとの もつ
そのやみのデータの
かいせきが できない
かぎり
たしゃの やみのデータの
処理などは できない
なぜならば
自分が たにんのじんせいを
かえようとする ということは
おおがかりな、はからい(企?)を
された 暗黙者(あんもくしゃ)の
さしがね で しか
ないからである

通信-08年7月13日

Tuesday, August 12, 2008, 11:54
※この通信は、
人間としてのわたくしを含めた
不特定多数のかた宛に届けられた
通信であると
認識しています

(2008.7.13 am10:10受)

正会員のプログラムは、
自らが、はたらく者となるために、
「自らの意志」で選択し、学ぶものです。
何かの勘違いを、されては、いませんでしょうか、
自分ばかりが助かりたい、人間
あるいは、
自分に何かの恩恵をさずけてくれるのだという
何らかの期待をされている人間、
そのような ひと達が、他者のために、
周りのために、正しくはたらけるものと
なれますか
自分が助かりたい人間、というものは、
他者に、ぶらさがり、すがりつこうと
いう行為をするものです。
重たい おもりとなっているのは
一体、誰のことなのでしょう
何かの不幸があるたびに
その責任を何ものかのせいにし、
なすり着(付)けているものが、
世の為、人の為にはたらくものと
なることなどが、出来ますか
出来ませんか
自らが学び、たとえ処理することが
できるようになるまで
時間がかかったとしても、
少なくとも、最低でも、
自らが その闇のエネルギーを
自らの外部に排出しない者と
なるために、精神学を学んで
いるのでは ないのか
学ぶ意志さえ存在しないものが、
他者の負荷となっていることぐらい
何故、理解を していただけないので
しょうか、
そうやって、自らが発した、釣針の
ようなものを、他人に引っ掛けて
毒を相手に排出していることが
一体、何故 お解りいただけ
ないのでしょうか
そうやって、先を歩く人に
自らの存在を、重りとして おおいかぶせて
いることに、何故気が付かないのでしょうか、
自らが他者を助けたいと思うなら、
その人間の闇を自分が背負えるものに
なるのが先なのでは ないのですか
自分がしたことの責任は
必ず、とらされます
自分で処理ができないものを、
あなたは 横流しにしているだけでは
ないか
それを放り込まれたものの身にも
なって下さい。
耐えがたい程の不愉快であることぐらい
おわかりのはずのことです。
同じことを何度も お伝えする気は
ありません

通信-08年7月12日

Tuesday, August 12, 2008, 11:52
(2008.7.12 am8受)

来るものは拒まず
去るものは追わず
と、お伝えをしていますが

自らの意志で学ぼうと
することすら しない
にんげんのために
時間をさくつもりは
ありません

通信-08年7月9日

Thursday, July 10, 2008, 14:00
(2008.7.9 pm11)
 
一体、何のために
その知識は
地上に置かれ
用意が なされて
いるものなの ですか

(2008.7.9 pm11:20)
 
あなたが ひろった
そのひとは
あなたの たすけを
しながらも
様々な 学びを
提供してくれる ひと
でもある
あなたが これから先
立ち向かわなければ
ならないものに
引きあわせてくれる
ばいかいしゃ
でも あるのです
様々な 課題を 提供し
そのたびに
あなたは何かを
学ばされる ことに なる
あるときは 味方で あり
あるときは、敵にも
なりうる もの
にんげんせい そのものを
つぶすのでは なく、
何が、それの きいんと
なっているのかを、
一歩引いて、見続けること、
なんども お伝えするようですが
理ことわりで しか
ありません
対処方法を
見つけ出し、行動を起こす
ことが 求められます
そのひとは そのテーマを
与え、提供をしてくれるひと
に、すぎません
そのひとの 特性を見れば
わかる はず
のことです、
ひとは、器うつわであると
伝えている意味が
わかりますか
容器になる、ということは、
そういうことです
自らのキジクが、はっきりしていないと、
様々なものに 占有される
可能性が高くなります、
いくつかのセンタクシの
用意がなされているときに
どれを、選ぶのか、
何を基準とするのか、
によって、結果は違ったものになる
聞く耳を持ちなさい、と
伝え続けている その、耳、とは
自らのご都合主義にのっとった
意見だけを聞き入れる
耳のことでは
ないのです、
もと来た道に戻りたい
ひとたちを、
引き止めては なりません、
なぜなら、
それが、ご本人が選択した
答えであり、結果でしか
ないからです
水先案内人 と、なるものは
ひとである必要など
ありません
なぜなら、知識はすでに
存在しているからです。
あなたがたに お伝えしている
知識の重要性に、
まだ 気が付きませんか
それらが、知識が、
聖書の次のものとして
用意が なされて いる
ということを

ひととひととのつながりが
どのような 結果を もたらすのかを
自らが現実の世界の中で
学ばないと、それらは机上の
空論でしか、ないのです
もたらされた事象には
必ず理由というものが
存在するのです
時空は 一様では
ないのです、
点と線、線と線での面
だけでは ないのです、
物事や事象や時間軸
というものは
複雑にからみあい、
ある程度の経過を経てからで
ないと、それと気付くことは
少ないからです、
物語に すぎない、と伝えている
その物語宇宙を、
広大なものにするのかも
小さなものにするのかも
あらかじめ定められた
お話のなかで
その人間が、その時々に自らの
意志によって選択をし続けているに
すぎないのです
恐れることなど
ありますか ありませんか
創造を しなさい と
伝えているのは、
あなたの 生き様を、
自らの責任と ともに
つくりなさい、ということ
なのです。
それが、意志を体現して
生きる、ということ、
それを どのようなものに
するのかは、
ひとりひとりの にんげんに
ゆだねられている、
と、お伝えしていることの
意味を、理解しても
よいはずです
後から来る ひとたちのために
何が必要とされているのでしょう
穴へ落ちると、先へ進む
時間を、その分、取られることになる
後から来るひとたちが、
その穴に落ちないように
穴埋めをしておくのが
仕事なのでは ないのですか
自分が味わった 苦い経験を、
他者も するべきだと いう
意識を持っている限り
下支えをし、足場となって
はたらくという者に
なることなどは、ないでしょう、
ピラミッドの上に立つのでは、ない
それらは 古き宗教の
姿でしか ないからです