2023年4月4日の通信

2023年4月4日pm7:23~受

ひとの中に、カミサマは住んでいる。

そして、そのカミサマというものは、

光と闇の合体物である。

その、カミサマの闇の部分を認識し、

処理して処分をするのは、

「ヒト」の役目であり、役割である。

何かを有難がって、崇拝をしている限り、

それらの仕組みに気付くことはない。

ヒトが、カミの責任を担い、

ハタラクということ。

そのシステムと仕組みに気付いたものから、

次のステージへと

コマを進めることが出来るということ。

それらの仕組みに気付いたもの達から

舞台は次のものに変わる、ということ

“宗教の時代の終わり”というものは

そのような様相を、顕すものであり、

この地球を覆い続けてきた

ある種の闇、その正体が、何ものであるのかを

認識することが出来たもの達から

一つ抜けて、次へとコマを進めることが

出来るという この仕組み、

誰にでも参加の資格は与えられていて、

飛び入り参加も、待たれているもの、

ひとは(ヒトは)ある種の可能性を持ち、

それが試され、現実のこの世の有り様を

つくり上げてきた存在。

このクニに生まれて来た理由を考えると、

ある種のひとつの方向性を持つ

こたえのようなものがあり、

それに導かれて、このクニに生まれてきたものたちが

参加をしている、ということなのでしょう。

“いま”というタイミングを見はからい、

この世に、このちに、生まれてきたものたち、

自らのおこないと、その方向性を、ただして、

つぎの(次の、継の)ものたちへと、

つないでゆく、ものたち、

そのいのちの綱(つな)のようなものが

DNAの進化の道筋であることに

気がついたのならば、

自らの目指す、指針となるものは、

既に、知るものであるはずです。