2022年12月22日pm8:29~受
“これからの時代は、
教祖は、いらない。”
宗教の終わりとは、
そういうことなのです
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2022年12月22日pm10:18~受
(2010年 長野5月?)
あの日、あの場所にいた我々は、
あの時、何かの決意を
したのであろう。
自らの利己的な目的のために
生きるものではない、という
意志表示のようなものを。
その意志表示をしたもののうち、
ひとりのものは、みまかり、違う世界において
その役割を担うことになり、
その先の、この世、このちにおいては、
残りのものが、担うことになった。
見えているように思える、この現実世界の中で、
ある領域には、その認識可能な
情報伝達が、なされることになり、
日常の生活とは 異なる情報空間での
様々な情報のやり取りが、なされることになる。
いのちの時間と、ニンゲンの、その意識領域での、
ひとつの系における、はたらきのようなもの、
情報系は、あるつながりにおいて
伝播され、知るものには受け継がれて
引き渡されることになる。
ひとつの系、ひとつの系統のような、
そのネットワークは、縦であり横であり、そして
三次元のものとなり、複合的な
仮想空間において、までも、やりとりが
なされることになる。
この時代の転換点、というものが、
何様(よう)の意味を持ち、そしてその後の
この宇宙空間においてどのような影響を
もたらすものに、なるのかを、
その意識領域内において、シミュレートをする、
ということであり、この先の未来を、
どのようなものに、カタチづくってゆくのかを、
考え、考察をし、そして「実現をしてゆく」という
ことであり、それらの様々な役割の担当というものが、
これから先、明らかにされてゆくことにあり、
ある具体的な目的のために、はたらく人間は、
これから先の未来において、増えてゆくことになるのであろう。
それらの水先案内となるものが
知識であり、それらの発動が、このちにおいて、
ある時期、タイミングにおいてはじまる
ということである。
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2022年12月22日pm10:37~受
“本が、はたらくんだって。
本が、はたらいてくれることになるのに、
みんな、積さんのことを、教祖のように見て、
あがめて、自らのための恩恵を受けようとして、
やっきになっていたよね。
それって、宗教の世界観の延長として
見ているってことだよね。
違うよね。知識を、持って来てくれただけなのに、
そこに全てのことが記されているのに、
分らない人には分らないし、
受け入れたくない人たちにとっては、
意識にフタをするようなことになるのかも
しれないことなんだよね、
だって、なぜならみんな、
自分自身の暗黒面から
目をそむけていたい人達だから、なんだよね。
そこには存在をしていないよね、「悔い改め」という概念が。
なんで、あれほどまでに、「悔い改め」と
「審判」のことが書かれているのか、
まだ、わからないの?ニンゲンだけではなくて
それ以外の意識体も全て、
審判の対象になっているってことだからだよ、
結局、世の中の何のためにどのような事を
したのですか、ということが問われているだけなのに、
みんな不思議なことに、
“ワタシは助かりますよね?”っていう
問い合わせをすることしか、
頭の中には無いみたいなんだよね、
そうやって、ぶら下がって重荷になっているだけで
なんにも世の中のために、はたらこうと
しないひとたちばかりが、いっぱい、
この世には、いるんだよね。
おかしなハナシだよね。
“人材不足だ”と言っているのに、笑って何も
しようとしないひとたち、何も、担う気がないのなら、
せめて利己的なご相談事を持ち込むのは、
どうにかして欲しいものだね。
時間を、持っていこうとする人たちは、
そのようにして、アシを、引っ張ってくれる
方達だからだよ。