<第二章>その十

第二章 意識は波動ということ

その十)山岳と意識

日本列島の山も、古来、神の宿るものとされ、山頂に登ることはタブーとされていました。ところが、仏教の伝来で、人間の神々への怖れが減少した結果、修験者と呼ばれるような山岳修行者が現れ、山頂の多くには、信仰の対象として社が設置されるようになりました。明治の日本で、三角点の整備のために、剣岳に登った者が、そこに到達した先人がいたことを小説にした作品があり、その映画も生まれましたが、日本人は江戸時代から、実は山登りが大好きだったのです。有名なのは富士山登山の富士講ですが、山へ登ることは、信仰でありレジャーでもあったというのが、日本の伝統だといえるでしょう。その山の神格で、日本人がよく知っている名が、白山媛(シラヤマヒメ)です。そして、この山を代表する神の名が、日本神話の中のイザナギが黄泉のクニから、この世へ逃げ帰る場面で出てきます。つまり、山はこの世と異世界をつなぐ、境界であり、そこに神が宿るという人間の実感が、神話に反映されていると考えられます。シラヤマヒメは人格神ですが、その神格が地上に降りる前にも、山々には固有の意識体が宿っていたというのが、精神学的な立場での認識です。そして、その山々の本来の意識が、これからの地球のために、人間とコンタクトをはじめる用意が整いつつあるというのが、いまの時代なのです。

(つづく…)

二千二十二年 十二月九日 積哲夫 記