<第二章>その九

第二章 意識は波動ということ

その九)岩石と意識

日本列島には古来、磐座信仰というものが神道として存在して、そこで信仰の対象となる巨岩や巨石は、神々が降りる場として、認識されてきました。神々が宿ることで、岩や石は意識化すると日本人は考えてきたようです、しかし、その認識とは別に、日本には生き石という言葉も伝えられてきており、その石は神々が降りる依り代というよりは、石そのものが意識体であるという感覚で使われてきました。つまり、しゃべる石です。植物に意識があるということは、植物が生物であるという点で受け入れられたとしても、無機物である石に、意識があるということは普通の人間には理解不能でしょう。しかし、現実に磐座は波動的なエネルギー体で、人間の側の意識の波動を磐座の波動に同調させることができれば、情報を受信することが可能になるのです。これが、古代の日本に自然発生していた神道の原型だと考えられます。たぶん、縄文時代の日本列島では、そうした人間と自然界との意識交流が普通に行われていたのです。それが、神話の時代になり、人格神としての神々が、人間と交流をはじめるようになった結果、岩や石が神々の依り代とされたというのが歴史的な事実でしょう。神々の多くが日本列島から役割を終えて去った今日、その岩や石のデータが意識というものであるという認識が、急速に広がることになるはずです。

(つづく…)

二千二十二年 十二月二日 積哲夫 記