———–以下抜粋—【第五十四回】から
積 今回は生きるためのコストというお話をしたいと思います。たとえば腎臓透析というものが日本では普通に行われています。週に二、三回のペースで腎臓透析して、透析代金だけで一年間で一千万円~二千万円がかかります。
何田 えっ! そんなに治療代がかかるのですか。
積 そうです。日本人は全部が健康保険だから皆さん気が付いていないけれど、アメリカの一般のご老人は腎臓透析になったら、もう病院に行かないのです。なぜか。お金がないから、払えないのです。
何田 アメリカの病気になったご老人は家にいて、治療をせずにそのまま亡くなられるのでしょうか。
積 そうです。そのまま死んで逝かれます。日本の老人は、今死にたくないから最期の最期まで病院にしがみついて死んでいくので、変なお話だけれど今の日本の病院の死者、死体は重たいそうです。
何田 重たいのですか。ご遺体がでしょうか。
積 そう、ご遺体が重たいそうです。だって死ぬ最期まで病院で点滴とか管に繋がっているでしょう。あれは実は地獄なのですよ。「生きても地獄、死んでも地獄」と私がいっていることは実は正しいのです。
何田 生きている時でも痛い、苦しいから地獄ですか?
積 だから前に答えを教えてあげたじゃないですか。水が飲めなかったら二週間で死ぬって。その二週間の脳の中で何が起きるのかっていいますとね、脳内麻薬が分泌されて脳はもう極楽を創り出してくれるのです。そして皆さんに「ありがとうね」といって死んでいくのです。
何田 なるほど。その死ぬ前の脳内麻薬による極楽のイメージがとても大事なのでしょうか。
積 そうなのです。そのイメージするプロセスが大事なのです。意識がそのプロセスを体験しないと死んだら地獄に行くことになります。だから地獄の苦しみで死んだ人はずーっと地獄に閉ざされることになります。
何田 そうだったのですか。なるほどよくわかりました。ありがとうございます。
積 それが現在の「生きても地獄、死んでも地獄」と、私が昔から皆さんにお伝えしていることの実態です。現在の医療制度が関係しているのではないかという仮説です。たぶん、そうだと思います。私が感じている、昔より現在の病院の方が幽霊が多いということと関連していると思います。
何田 あの、その幽霊たちはずっと病院や死んだ時と同じ場所にいるのでしょうか。
積 そうですよ。だって行く所がないでしょう、今の幽霊さんたちは。
何田 これは大事なお話です。よくよく考えなければいけないお話です。人間は生きている時間、たましいが人間の身体に在る時間、それがどれほど大事な時間なのかを自覚して、人生に対処しなければいけない。そうしなければ死んで地獄に閉ざされるということになるのですね。私達はよくよく考えて生きなければいけません。
———–抜粋終わり—–
今の医療で終末期を迎えたくないというのは、4人の老親を3人まで向こう側へ送り出した私の実感です。老いの先に死があることは避けられないことです。しかし、現代医療は『生きているのが正しい』として、死は敗北であるという見方をしているとしか思えません。だから、患者側に負担がかかっても原則として延命治療を勧めます。
生きているときのことばかりを重要視するなら、そうなるのでしょうが、肉体をなくした先にもきちんとその人のたましいは存在するのだとすれば、方向性が間違っています。
私がこの世を去るときには、今のやり方でない方法でおだやかに去れればいいと考えていますし、またそのような場を作ることができる機会があれば、ぜひとも取り組みたいです。
日戸 乃子(ひとのこ)