『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その⑩

 

———–以下抜粋—【第四十五回】から

 そういうふうに考えると子供達の未来のために、いま何が必要なのかというと、さっきお話したことです。人間の子供は神様の子供だよ、ということを受け入れた方が正しい知識に到達しやすいのです。それを親が理解して子供達に伝えるべきなのです。子供に向かってあなたは神様の子なのだから私より偉くなれるんですよ。そういってあげるところからスタートしなくちゃいけないのです。「親の所有物ではなくて、あなたは神様からのあずかりものだから親として精一杯やるけどね。そこから先はあなたの能力ですよ」といわなければいけません。それを日本中の親がいい始めたら、この日本国は劇的に変わります。

何田 子供達はわかるでしょうか?

 子供達の方がよくわかっています。三歳の子供はたぶん全部理解しています。「三つ子の魂百まで」といってね、三つの子供はたぶん直感的に私のいっている内容は何となくわかっています。それをわからないようにしているのが今の教育なのです。神様が見える子供とか幽霊が見える子供とか、調べたらかなりのパーセンテージで存在しています。でもそんなことをいうと親が怒り出すから子供達はいわないのです。神様や幽霊が見えても「外でいってはいけません」というのが今の日本なのです。

何田 昔からこの日本国では小さい子供の頃は神様や幽霊が見えるのでしょうか。

 はい。人によるけれど、見える子が大人になる過程でほとんど見えなくなります。なぜかというと自分で遮断するからです。だって見えても得なことは何もないですから。

何田 先ほどの浄化と上昇のみことばを、子供さんがお母さんやお父さんと一緒に唱えればいいでしょうか。

 親御さんが子供さんと浄化と上昇を行う時に「あなたは神様の子供なのよ」と教えてあげなくてはいけません。そうしないと何をいっているのか、わからなくなります。光の世界というのが上にあって、そこには神様がおられて、あなたのルーツはそこにあるのよといってあげれば子供達は即、納得します。霊界からきて死んで霊界にもどるという話では気分まで暗くなるでしょう。「あなたは私の子供で、私のできが悪いからあなたもできが悪いのよ」と育てられるよりは「あなたは神様の子供です」といわれた方がどれほど幸せでしょう。

参加者B 質問です。胎児、お腹の中にいる赤ちゃんは、もしこちらの世界に生まれてこなかったら、どこに帰るのでしょうか。

 昔からこの国でいわれているように子供は七歳までは神のうちなのです。お腹の胎児はお腹の中にいる間に人間世界のお話を全部聞いています。そのたましいはたぶん七歳ぐらいで確定します。それまでに死んだ子供のたましいは必然的に神々の世界に帰ります。ですから生きている人間がそんなに悩み苦しむ必要もないのです。

参加者B よくお寺でご供養をされていますが、その亡くなった胎児さんは現世に影響を及ぼすことはないのでしょうか。

 それはないです。それは失礼ながら宗教の方が水子のたたりとか何とかいって、戦後に日本で流行らされたものです。戦後、日本で水子のたたりがどうのこうのというのがなぜ流行ったのかというと、たとえが悪いのですが、敗戦後に朝鮮半島と大陸にいた若い日本の女の人が強姦されて妊娠した状態で日本に帰ってきた時期があったのです。その女の人達は長崎のある場所で中絶したのです。その頃から中絶に強烈な罪の意識が生まれました。自分を責める形で生きていくよりは水子の供養もちゃんとしましょうということで一種のムーブメントが起きて現在の水子供養になりました。

それとさっきいった戦後の教育がセットなのです。子供は「七歳までは神のうち」が当たり前の時代には、水子は問題にならなかったのです。江戸時代なんて口減らしで、日本は変な国で残されるのは子供が生まれた順なのです。これが中国とか中近東とかでは、お父さんが産まれた子を生かすか殺すかを決めていました。姿、形の悪い子はさよならでした。その結果として日本国は多様な遺伝子が残っています。今の中近東の人達はほぼ同じ顔をしています。ヨーロッパの貴族階級もほぼ同じ顔をしています。なぜかというと、そういうある種の選択的なことをずっとしてきたからです。

———–抜粋終わり—–

最近、以前にもまして、親子間の殺害が社会の中で報告されているように思います。解決すべき愛憎関係や人間関係は、親子間や兄弟間など、最初から切れない人間関係に用意されていると思われます。それを『問題=たましいのテーマ』として用意がされていても、それらにきちんと向き合わなかったら、問題は解決されません。解決とは、たんにその構造を理解するだけでもいいのです。しかし、ほとんどの場合、解決以前に、感情が立ち上がって理性的に問題点を分析することができないのです。だから同じテーマが人生上に出てくることになります。

日戸 乃子(ひとのこ)