今回が最後の、『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事になります。書籍の方は順調に校正が進み、予定している9月初旬~中旬かけて刊行される予定です。本書籍は読みごたえがありますので、ご購入を希望されている方は楽しみにしておいてください。
———–以下抜粋—【第四十四回】から
積 今の日本の社会情勢の不安定さの背景には、中国から人がたくさん入ってきたり、半島から慰安婦の問題で叩かれるなど、そんなお話が全部バックグラウンドにあって、どこか不安な日本人の精神状態があります。もとを正せばマッカーサーの日本占領がありますが、そのもっと根本は明治維新の時にあり、日本は間違った道を歩んできてしまいました。その間違いの結果として第二次世界大戦に負けて、この日本の子供達はアメリカの子供達と同じような精神的な場で同じような教育を受けて何か勘違いした方向に人生を推し進められているというのが現実の姿です。失礼ながら、このままでいけば、今の子供達が自分のたましいに書き込まれている本来のお役目を果たすためには、ものすごく苦労をしなければいけないことになります。ですから、できるだけ早く苦労の道から解放させてあげるようなことを始めたいと思っています。
そのいちばん最初のスタート地点がここで、皆さまにお集まりいただいたわけです。だから今日集まってくださった皆さまは運が悪かったとしかいいようがない。私の口癖は、知ったら担わなくてはいけないです。精神学協会の会員さんでも、最初のうちは知って逃げようとするのです。でも、そのうちに逃げられないことに気が付くのです。だからこの「神を超えよ! 仏を超えよ! 積 哲夫の言葉」でもわかるように、繰り返しいっているのは「精神学は宗教ではない」ということです。なぜ精神学が宗教ではないのかというと、精神学は科学よりも科学的なのです。精神学は宗教の時代を終わらせるために、この地上に降されました。私はその知識をお伝えているだけなのです。
私が知っている知識というのは天から伝えられた知識で、それを人間がわかる言葉に翻訳してお伝えしています。それは私の知識ではありません。その知識は天のどこかにあるのです。人類の歴史というのは、どこかにある知識を誰かが地上に降ろして、初めて文明が開化するのです。
今の科学技術を調べればすぐにわかります。ある種の天才の頭の中で起きたひらめきは、その天才が考えついたものではありません。それはどこからかデータが降りてきたのです。たとえば同じような発明は、同じ時期に、何人もの人がしています。それを発明の共時性といいます。これはすごく有名なお話です。アメリカで発明を思いついたら日本でも同じ発明を思いつく人がいます。発明とは、そういうものなのです。だから、時代というものはそういう風に世界全体がほぼ同時に変わっていきます。そのようなことが現在ではだいたい科学的に解明されつつあるのです。
イワシが海で泳いでいるところを知っておられますか。イワシは海で、大群で渦を巻くように群れをなして泳いでいます。一匹一匹のイワシは群れの中で自分がどの位置にいるのか理解しています。外側にいるイワシは一番危険なので、イワシは渦の中に入ろうとします。だから常に渦の球体は壊れないのです。ということは一匹一匹のイワシは群れの全体像を理解しています。それを人間の細胞レベルに当てはめると、この指の先の細胞は自分が指の先の細胞だと知っています。そうでなければこの指の細胞が死んだ後に、また同じ細胞が指の先にならないでしょう。ここにいる限りこの細胞は脳細胞にならないのです。骨にもならないのです。同様に身体の細胞は全体の中で自分はどのポジションにいるのか、ということを細胞レベルで理解しています。同じようにイワシも群れの中で、その群れ全体がどういう形をとっているのかイワシ一匹一匹はなんとなくわかっています。
それが、精神的なエネルギーが物質的エネルギーに先立つのだということの一つの証左なのです。私達の細胞一つ一つは全身を理解しています。ということは一つの細胞に全身のデータがあるのです。その一つの細胞は自分の役目はこの位置だとわかっているので、この姿形をしています。それは蟻さんの世界でもそうだし蜂さんの世界でも同様です。別々の個体なのだけれど一匹の昆虫は群全体を理解しています。
———–抜粋終わり—–
人間というものが、どのような存在なのか…ということが、垣間見える部分です。この記事ではイワシを例にとって説明していますが、人間も個別ではなく無意識領域でつながりあっているということは、既存の研究分野でも『集合意識』という概念で明らかになってきています。意識の使い方をきちんと理解すれば、今の制約がなくなると、私は感じています。人間は成長する上で、常識としてつかんでしまった思い込みが多すぎるのです。
日戸 乃子(ひとのこ)