『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その⑧

———–以下抜粋—【第三十四回】から

 人生は楽しまなければいけません。何かしようとすれば天のタイミングがあって動き出すときは動き出すのです。

何田 一流のシェフや一流の舌を持っておられる人は世界各地に飛び回って、美味しい食材や味を探し求めておられます。

 普通に考えたら食べ物の価格差ってすごいとわかるはずです。たとえば聖別(せいべつ)されたお茶の味は飲み比べてわかるけれど、プライスという面では少し飲んで、あそこのお茶は今まで飲んだお茶と全然違うよねとすぐにわかる人でなければ、お金を出してくれないのでしょう。聖別された山椒もそうなのです。食べ比べて、美味しいでしょうという問題でなく、こんな美味しいもの、こんなものは今までに食べたことないよねってわかる人でないと積極的に購入しませんよね。

何田 私も聖別された山椒を入れた椿オイルの味に感動を覚えました。和歌山のしおんさんで、出された聖別の山椒と椿オイルのカルパッチョは、とても上品で最高の味でした。美味しいものは感動します。すぐわかりました。あの美味しい味は忘れられません。

 味と匂いというのはすごく原型的な記憶なので、何十年経っても忘れないのです。時間が経っても忘れないから、怖いといえば怖いのです。それが上手く商売に結びついたら、日本の農業の未来も変わります。そういう嗜好品というのは安く売る必要はないのです。

何田 なるほど、買う側が味と値段に満足していたらそれでいいのですね。それは販売側も常に同じ味を提供する。手法や量や材料を変えてはいけないと思いますが。

 そうです。販売側は同じものを提供し続ける義務は生じますね。ビジネス的にいえばね。高く売れる物って、そんなに日本にはないのです。

何田 食材がいっぱい、日本にはあるからでしょうか。

 いや、高い食材が少ないのです。山椒は高いでしょう。お茶も高いでしょう。でも農産物で高いものはあまりないのです。

何田 昔、私が会社の社員教育で京都天龍寺に行った時、食事には感動が伴わなければいけないとお坊さんがいっていました。ひと箸、ひと箸、次は何を口に運ぼうかと楽しみながら、ひと口、ひと口の味に感動し、感謝して、食事をいただく。料理を出す側もそれを意識して、食材を生かし切った美味しい物を提供することとお坊さんはいわれていました。その味はとても美味しかったです。また以前、積先生と一緒に行った青森県恐山のお寺の食事も美味しかったですね。その味に感動しました。それを食べれば元気が出てきました。そうした料理をする人の心と技とは別に聖別された山椒や塩、オイルなどは他の食べ物を美味しくしてくれますね。

 それだけの価値があればいいのです。あとは、そのプライスに対応した何らかの効果効用が実際ある事を認識してもらえばいいのです。

———–抜粋終わり—–

本日、和歌山のしおんさんから注文していた聖別した水の『秘積水』が一箱(35本入り)到着しました。私は、もう十年近く、料理や飲料に混ぜて家族全員で体内に取り入れています。聖別製品としては、このほかに聖別塩も希釈せずに原塩で使用しています。これらを使って、毎日食べる料理を作ることで、味も風味もよくなっているし、加えて身体も健康でいられると考えています。ですから、効果効用を認識しているので、プライスは高いとは思っていません。

人間の身体は、口に入るものでのみ構成されているからです。

日戸 乃子(ひと のこ)