『神を超えよ! 仏を超えよ! 積哲夫の言葉【一の巻】』の紹介記事 その③

 

———–以下抜粋—【第四回】から

何田 たましいとみたまは同じですか。

 たましいとみたまは同じです。

何田 たましいはどのようにできていますか。たとえば魂魄(こんぱく)や昔のエジプトから伝わるラーとカーでできているとか。

 たましいは光五十パーセント、闇五十パーセントのエネルギーで組み合わされてできています。そうイメージしてください。それが解りやすいと思います。魂魄などという昔の言葉を持ってきても意味はありません。過去の言葉は過去の人間がたましいとはこんな感じと説明しようとしたものであって、とくにその言葉を使う必要もありません。それをすると過去とつながります。宗教の言葉を使用すれば、宗教のエネルギーの場につながります。たましいは光と闇のエネルギーからできています。現在はこのシンプルな説明が皆さんに、明確に伝わると思います。

何田 光のエネルギーと神性は、イコールと解釈していいでしょうか。

 神性とイコールでいいと思います。ただし、闇の中にも光はあります。邪悪な人間の想いのエネルギーの中にも光のように見えるものがあるから、カルト宗教があるわけです。純粋な光のエネルギーと純粋な闇のエネルギーだけだったら、そこに発展性はないのです。活動もないのです。つまり、これは弁証法(べんしょうほう)なのです。光百パーセント、闇百パーセントでは活動が生まれないのです。対立する二つの要素があって、初めて物事が動き出すのです。

この宇宙の生成のお話をしましょう。エネルギーから物質は生まれるということが、現在ではすでに理解され知られています。じゃあエネルギーとは何か、ということですね。もしかしたらエネルギーというのは、単なるエネルギーでなく、意識のエネルギーかも知れない。意識はエネルギーであって、その意識エネルギーがこの宇宙と宇宙の物質を生成したらと考えると宇宙の生成がわかる。意識のエネルギーが物質化したものがこの宇宙だとしたら、私達の身体がなければ精神的進化はないというのがわかるでしょう。私達の身体がなければ、精神的進化はないということがわからなかったら、コンピューターとかAI(人工知能)の進歩についてのお話をすればいい。

何田 コンピューターもAIも電気エネルギーで動いていますし、人間と同等ですね。

 考えることはできるように見えますね。だけど、考えるだけじゃ何も生み出せない。

———–抜粋終わり—–

たましいは、人間として生まれでた時は光五十パーセント、闇五十パーセントの割合です。その光の部分を増やしていくように生きていくことが人間の生まれてきた意味であり、進化のベクトルなのです。これ、生きているうちに知れてよかったですよね。

生物界の真実として語られている『弱肉強食』、人間に関してはまったく違います。これらを信じてしまうと、周りは敵だらけ、力の強いものが正義というガイコクの理論に呑み込まれてしまいます。

 

ひとのこ