国語でも英語でも、実は勉強であまりやっていることは変わらない。
要は、言語、文章の構造と使い方をちゃんと理解して分解する。そして、自分が表現したい内容を正しい言語構造で表現できるか練習する。
そういう学びなのだ。
それは完全にロジック=論理的思考力の世界であり、同時にパターン=系の認識的な知覚の世界でもある。
パターンというかたまりをこうやって組み合わせると、こういう意味になる、という、さらに大きなパターンや法則性を認識していく。そうするとおおまかな体系が分かってくる。
論理回路を作るために、言語回路を作ることが必要、というのは、正しい言語回路を作ることが、論理回路の基礎にも通じているから。また、全体的に情報の関係性を考えて整理するという行為に、深くかかわってもいるからだろう。
だから、もともと論理的な思考に向いている言語と、向いていない言語というのがあるのだと思う。
ノーベル賞を取れる母国語の言語は、ほぼほぼ決まっているのは、そういう背景がありそうだ。
一方で、人によっては、その論理回路から、特定のワードや外部刺激によって、感情回路に強い刺激を引き起こすようなシナプスの繋げ方を、脳はすることがある。
それは、魂のプログラムと関係しているのだろうけれど。魂のプログラムとは、脳が何に反応しやすいように作り上げるか、というシナプス回路の青写真にもなっていたりするのかもしれない。