〈プロローグ的モノローグ〉10

言葉になっていないエネルギーが渦巻く世界の中に閉ざされて、そこで、じっと耐えながら、それを言語化していく作業に、はじめにあった名前は、文学でした。ところが、ある日、突然、聖書のあの言葉が閃光のように脳につき刺さったのです。『言葉は神なり…』ヨハネ福音書の冒頭の一節です。はじめに言葉あり、言葉は神と共にあり、と続いて、その言葉がきますが、たぶん、それが、私の人生のテーマだと、その瞬間、ある種の波動に包まれて、理解したのでした。もし、この啓示とでもいうべきものがなければ、私は言葉で食べていく仕事をすることにはならなかったでしょう。体内には、暗くて重たいものを抱えたままではありましたが、生きるために、食べるために、大阪万博の年に、まだ、十九歳ではありましたが、当時、流行しはじめていた広告業界に身を置いて、コピーライターという仕事に就いたのでした。父親が死んだことで、すでに、兄も働いていましたし、私も、大学へ行くよりは、働くという道を選んだのは自然だったのでしょう。要するに、引きこもりになりたくても、なれない状況があって、運命のいたずらというより、天の配剤で、日本語の言葉を使うという仕事を得たのです。この結果として、ある日、神のコピーライターとして、精神界の情報伝達を担う仕事の場へと引き出されました。こうして、「最終知識」の著者はつくられたのです。

(つづく…)

二千二十二年 七月二十二日 積哲夫 記