畑に苗を植えました。

JAさんから「畑が耕せました」と、連絡が来てから一週間がたちました。

年数がたっていて、自前の耕運機のメンテナンスが難しそうだったので、JAさんに耕土をお願いしたのです。本日は、お昼から雨になるという予報だったので、午前中に苗を買って、植えてきました。

いまは、端境期です。夏野菜の植え付けの時期は、もう過ぎています。

それでもトマトやスイカなどの苗がわずかに残っていたので、それらを買い、数年前まで庭にあったレモンの木(庭のは枯れました)や、イチジクの木を一本ずつ植えたのです。

まだ小さな苗木なので、実がなって収穫できるようになるのは、かなり先です。

生きているうちに食べることができるのかな…という思いがわいてきたのですが、そういえば「たとえ明日、世界が終わりになろうとも、私はリンゴの木を植える」という言葉があったなと思いだしたのですが、調べてみたら16世紀の宗教家、マルチン・ルターの言葉でした。名言集に入っていました。

なんでしょうね。明日、世界が滅びるなら、私はリンゴの木は植えません。でも、明日、私が死ぬとしてもリンゴの木を植えるでしょう。世界が滅びるなら、人類は残らないわけで、リンゴの木を植える意味はあまりないけれど、私が死ぬだけなら後に残った人間がそのリンゴを食べることができます。これって、人間中心の思考なので正しくないのかな。

人間が滅びたとしても、地球や動物(サルなど)は残るとするならば、地球や動物のために植物や実のなる木を植えておくというのが、正しいのでしょうか。でも、そんなことをわざわざ人間がしなくても自生している果物の木もたくさんあるので、人間が植える植えないは関係のない事柄でしょう。

まあ、元々のルターの言葉は、暗喩的な要素が強いので、言葉通りの意味ではなく、別の意味が含まれているのでしょう。それもキリスト教的な事柄なのだと思います。16世紀って、今の時代と違って教会の力は絶大だったので、それまでと違うことを主張するには勇気もいるし、命がけでした。いまでも、キリスト教会の力が残るヨーロッパやアメリカは、その先入観が自由な思考を妨げているのだと思います。

現在、フランスのエマニュエル・トッドが書いた「第三次世界大戦はもう始まっている」(文春新書)を半分ぐらい読んだところですが、歴史人口学者であり家族人類学者の視点は、新しい気付きをもたらしてくれるし、日本が抑止力として核を持つことを彼は提言しています。

その世界的な頭脳の一人であるエマニュエル・トッドが、受け手側の感情的な問題から、ヨーロッパやアメリカなどで自分が分析したことを発表すると、大きな反動が起こると書いています。日本の国は、そういう意味では従来から比較的自由に発言できる領域らしいです。世界宗教が意識の根底にないので、何を聞いたとしても「世界はこうあらねばならない…」という世界観がインプットされていないので、感情的な反発が少ないのです。

 

では、日本人の根底にあるのは、何なんでしょうね?

年代によって、根底が形成された素材が違うんだろうけど、ざっくり分けると50歳以上は映画やドラマ、そして小説(ファンタージを含む)を通して、50歳以下は漫画やアニメを通して、「正義は貴い」「まじめで正直な人間は報われる」という指針を繰り返し作り出して、再生産しています。これが日本人の神話的な意識なのかもしれません。社会が全くそんな風に機能していなくても、意識の根底には「やさしさ」があるんですが、過去と現在の歴史認識をきちんとしていないうえに、その感覚だけがあれば、先々、世界に足元をすくわれることになるのかもしれないという危惧もあります。

それはこの国の希望(オーダー)であり、目標でもあるんだけれど、それを社会の上に具現化するためには、他国に干渉されないように経済力と軍事力は必須で、その上に過去と未来を通して歴史を考え先を読む知性がなければ、実現しないと思います。

それか、あっさり鎖国にするのはどうでしょう。外国を排除して日本に閉じこもり、日本人のアイデンティティを全開にするのです。世界で中立国の立場になるなら、他国に干渉されない軍事力は必要です(スイスと同じ)。経済力はどうでしょうか。グローバル経済の今なら世界的な基準(GDP)が必要かもしれませんが、鎖国したら要は内需で大半が回るようにすればいいのではないでしょうか。工場で一括生産する大量消費時代ではなく、それぞれが芸術家や職人の作り手として、農業や商業に関わるようになったなら、別の扉が開くような気がします。ようは、各方面は「オタク文化」でいいんです。それしか考えていない人たちがいてもいいけれど、国の中枢には世界全体を見て自国のかじ取りができる人材がいればいいのではないかと考えています

7月の参院選挙が近づいてきましたが、今のこの国では自立も鎖国も難しそうなので、この国の中に別の価値観でつながることができる、『目覚めた人間』が増えたらいいのになと考えています。

日戸 乃子(ひと のこ)