〈プロローグ的モノローグ〉3

その堂々めぐりの原因は、と自分の人生、とくに幼い頃の記憶をまさぐると、出てくる、出てくる、敏感過ぎた自分のイヤな記憶。実は、私は幼稚園に行けませんでした。理由は、母親と共に見学に行った幼稚園で、たぶん年上の男の子に、面と向って、「変なヤツ。オマエなんかくるな」といわれ、イジメの予感で、イヤになり、幼稚園の送迎バスが来た朝に、「イヤだ、イヤだ、行きたくない」と柱につかまって抵抗すること、数日、親もあきらめたという次第。早生まれだったので、ちょっと小さかったことと、人混みに出ると、それだけで、激しい頭痛に襲われ、顔面蒼白となることをくり返していて、弱い子だったことも親をあきらめさせる原因になったことは確かでしょう。そして、小学校、正装した母親に連れられて、校門を入ると、新入学の名簿が、各組ごとに貼り出されていたのですが、どこを見ても、ボクの名前がない。「アラ、大変だわ」という母親の手を引っ張って、「帰ろうよ、ココじゃないんだよ」といってみたのです。当然、無視され、学校側がどこかの組に名を書き込むのを見ていたのですが、傷ついたというより、恥かしさでいっぱいでした。幼稚園にも行かず、入学式もこんなスタートですから、小学校の一年間は、ほとんど、何も記憶がないのです。ハ、ハ、ハ。

(つづく…)

二千二十二年 六月三日 積哲夫 記