我が家にある神札のご祭神には、イコンシールのダークを貼ってほとんど帰っていただいたということをお伝えしましたが、全部の方に帰ってもらったわけではなりません。
5月にカバンに入れて山頂までご挨拶に行った『伏見稲荷大社』の神札、4月中旬に仲間(友人2人)がご神業に行ったときに訪れた愛媛県の『石鎚神社』と徳島県の『大劔神社』の神札、同じく4月に我が家にお迎えした『天神一路 神狐隊』の4つの神札はそのまま祀っています。
伏見稲荷大社のことは、すでにご報告しました。
4月中旬のご神業(しんぎょう)のことは、書こうかどうしようか迷ったんだけど、どうもフェーズが変わったみたいなので、今回は書かせていただくことにしました。今回、私のご神業ではなかったのですが、大きくとらえれば私が住んでいる地域の神社だったので同行させてもらったのです。
ご神業自体の指示は、天(精神界)から数年前に降ろされていました。
私の地元の話なので、
私:「いつ行くの? 着いたら車で案内するよ」
友人:「うん。また、行けるようになったら連絡するから」
というようなやりとりを、10回以上繰り返した記憶があるのですが、どうも時が訪れていなかったようで、数年の時を要したのです。
そして、
友人:「なんかね。これからのご神業は以前とは違って、ウキウキと楽しみながらやったらいいって言われたのよ」
私:「はぁ~い!?(なによ、それ?)」
そんなやり取りをしながら、気長に待っていたところ、2022年4月の中旬に決行されることになりました。これは私見ですが、3月5日の精神界での『その日その時』が起こった後に、目的の2つの神社へ行く必要があったのかもしれません。
私自体には、天(精神界)から神業のご指示が下ったことはありません。
まあ、能力的にも普通人ですから。
以前に興味があって、あれこれと神業を調べたのですが、昭和の神道家・金井南龍氏の本「かみさまのはなし」にも、いくつかの実体験の神業の様子が掲載されていました。その一つに彼は広島の宮島の弥山の頂上で、真夜中に豪雨と雷鳴の中で妖魔と闘いながら神業を決行するというスペクタルな状況の体験がありました。その道は、人間にとってはひとつ間違うと命を失うかもしれない危険な使命だと語られています。実際に、多くの方が道半ばでひっそりと亡くなっているようです。
今回のご神業の当事者は2人。そして、私ともう一人の2人がサポートに回り、磐座と話ができる『石神師』が九州から車で駆け付けました。石神師の本業は、造園業と農家。ちょうど閑散期だったみたいです。
本来の神業は、ご神体である山の頂上まで歩いて登るのが正式ですが、途中が通れなかったりとアクシデントもあって、先に平地にある本殿に向かいました。ご祭神がいなかったら、次善の策を考えようということになったのです。
石鎚神社も、大劔神社も、お社にご祭神が待っていてくださいました。
参加者全員で、「ご祭神、いらっしゃったよね」と確認しあって、当事者の方々は拝殿で祈り、役目を果たしたのです。
どちらの神社でも、私は神札を買いました。
所縁のある神社の神札なので、ご祭神にはそのまま帰ってもらわずにいまでも手元に置いています。
とくに徳島県の剣山のふもとにある大劔神社では、不思議な現象に遭いました。
私は神札を、ほかの人は御朱印を書いてもらおうと、神社の方にお願いしました。長髪のひげを生やした方だったのですが、先に御朱印帳をもって中に入り、書いてから持って出てこられたのですが、最初の方と全く雰囲気が違っているんです。出されているエネルギーの質が違うといえばいいのでしょうか。
『…別人かな…』
と考えたのですが、同じような服装で、同じような身長、髪型、ひげを生やしているひとが2人いるとは思えない。
神札を買い求めるときに向き合ったのですが、最初の時とは全く違う人に見えて仕方がなかったのです。
『私の勘違いかもしれない…』
そう考えて、お社の階段を下りて行ったのですが、途中で御朱印を書いてもらった一人が、「御朱印を書いてもらう前と後では、全然別の人みたいで、びっくりしたわ」と言っているのを聞いて、私の勘違いではなかったのだ、と知ったのです。
友人が言うように、同行させてもらったご神業はらくだったし楽しいものでした。
5人のうち4人は、よかったのですが、一人だけ、大変な目に遭った人が…。
詳細は、ご本人がブログに書いているので読んでください。
(シンロジア なんでも体験談 めまいと吐き気)
こちらでもブログを書いています。 日戸 乃子(ひと のこ)
続・死んだらチャンネル 向こう側からのメッセージ
(次回に続く)
※長文になったので、我が家のお狐さん事情は次回になります。