〈プロローグ的モノローグ〉

人間というものは、まことにやっかいなもので、そのやっかいな自分と向き合うことで、大のオトナ、くり返すと、ダイの大人への道を歩むのです。このプロセスは、たぶん、すべての人間に共通する通過儀礼です。早く通り過ぎれるヒトもいれば、いつまでかかっても、通過できないヒトもいるワケで、当然、「引きコモル」モノや、「落ちコボレル」モノも生まれます。
そうなると、人間の頭の中には、次のような、自分のもののような誰かのもののような言葉が棲み憑くようになるのです。

「アー、イヤだ、イヤダァ~。ナニが嫌だって、ナニより、自分が嫌だァ~」
その別バージョン
「ウー、ウンザリだ。ウンザリだ。こんな毎日、ウンザリだ。こんな人生、もう、ウンザリだァ~」
その他にも、別なバージョンが無数にあって、頭の中に、気が付くと、流れていて、それを忘れるために、脳を暴走させる方向に使うようになるのです。理屈は、そうです。いくらへ理屈をこねても、そうなのです。

(つづく…)

二千二十二年 五月二十日 積哲夫 記