ご参考になるかなー

2023年6月20日pm7:55受

神さま方の負託、

もっと言えば、それを託された人間の

負託というものをどのように処理して

この先の未来につなげるのか、

ということが問われているということなのです

そこに二重、三重の構造というものが

存在をしています

神さま方の依頼を受ける「人」というものは

まれに存在をしています

その仕組みというものはご存知のはずです

けれども、その負託を受けた人間が

道を踏み外すとどうなることになるのかを、

普通の一般的な人間は知りません

そこには神罰というものが存在をしています

託されたことを、

実行することが出来なかったものには

罰が与えられます

人間的な、ひとごころを介して動いたものには

必ず 罰が下される、ということなのです

それが神罰というものなのです

痛い目に遭わないと、人間という生き物は、

学ぶことがありません

何かの事象が勃発した時に

何かを呪うという意識が発動することになるのです

それが、神を呪うという、おこないであり

行為です

あなた方が、神の意志に沿うおこないを

きちんと、し“続けましたか?”ということが

必ず問われます

誰しも、自らの身に 負荷がかかると

“何故ゆえなのですか?”と、天に問うことになります

自らの状況に対して天に問うこと、

問い続けるということなのです

“正しいことを、しているはずですよね?”

という意識を持って、

天に問うのか、あるいは、

“何かを間違えては、おりませんでしょうか?”

という意識を持って

天に問うのか、ということなのです

あなたのその意識の状況というものが

問われているということなのです