英語の時代が終った先にあるもの。(再掲)

いまの世界の科学技術の分野で、一周遅れのランナーである日本は、コンピュータにまかせておけばいい分野を、子供たちに教育しようという、無駄を止めることができません。日本がアメリカに敗北して、日本がアメリカの技術をもとに、新しい技術分野で主導権を持ちそうになると、アメリカその他の国々がその芽をつむということがくり返されてきました。そのために使われたのが、半島の国家や大陸の国家がつくり出した偽の歴史です。これらの経験から、日本は、アメリカの文化的属州となり、経済的には大国化した共産中国の下請けとなる道を選んできました。いま日本の学校で、英語が教育されていますが、このまま行くと、ある日、中国語も学ばせようと、いい出すものたちが出てきます。歴史を考えてみると、菅公という日本では神社に祀られている人物も、その時代の大陸との関係、いまでいう、チャイナ利権を有していた人間グループに追われて、たたり神となったことがわかります。これからの日本には菅公のようなたたり神が、出る必要があるのでしょう。日本という国のまつりごとをする人間に、そこまでの覚悟をさせる知恵の教育がこれから必要です。神や神々の関与が、敗戦後の今日までなかったからといって、それが永遠に続くとは考えるべきではないのです。