ガイコクに学ぶものなしということ。(再掲)

二十一世紀に入って、すでに、多くの若い日本人は、アメリカやヨーロッパに留学しても、ほとんど何も学ぶものはない、と気付いています。明治維新から今日までの、日本国の不幸は、そのまま鎖国を続けていたら、植民地にされてしまう、という意識の強さから生まれた、行動原理でした。科学技術を学び、イデオロギーや政治システムも学びながら、西欧文明が、その出発点に持っている悪魔的発想は学びませんでした。文明は光の部分だけではありません。そこにあるキリスト教文明の表面的な主張は、信じるものではなく、歴史的に検証するべきものだったのです。それまで、たとえば仏教伝来の時のように、新しい知を導入する時には、さまざまな問題が生じるということを忘れて、日本の知恵を捨てた結果が、現在の日本の姿です。いってみれば、日本は国内にいたガイコクに呼応する勢力によって、ガイコクに売られて開国し、ガイコクに戦争用の集団として育てられ、ガイコクにその領土を明け渡すように迫られて敗北し、天皇は残ったかもしれないが、たましいを売ってしまったのです。そのガイコクにもう学ぶものはないのです。そのガイコクのもとをつくった人間の強欲というものを、日本という国は歴史的にコントロールする技術を育てていたはずだったのですが、明治の開国以降、その伝統を失ったのです。そこに日本の不幸のもとがあります。