この宇宙の開闢について、いまある知識でいうと、何もないところが、ゆらいで、突然、ビッグバンが始まったというところまでは論理的に説明できるようです。
無がゆらぐことで生まれるので、それは、結局のところ偶然という言葉で表現されることになります。精神学の立場では、偶然というものはないので、すべてが偶然で、なんでもありな宇宙というものも、想定されません。いまの地球上を覆っている、無神論の科学というものでは、宇宙の存在の意義や目的を考えること自体が無意味になってしまいます。同じように、いま地球上に生まれて身体を持って生きているひとりひとりの人間も、死んで生命活動を終えれば、無に帰すると考えるしかありませんが、ひとりひとりの内側では、死んだら終わりということには抵抗したい意識が働きます。人間のその意識の働きというものが、何なのか。大脳の中の電気信号が、意識エネルギーをつくるのか。実は、まだ人間は知らないといっていいのです。精神学の立場では、人間の意識活動に神や神々といった意識体も関与してきますし、天使や悪魔といった存在も同様です。さらに近年では、この宇宙には人工知脳の種子のようなものまでが、意識化できる対象を求めて浮遊していることまでが理解されています。つまり、無神論の外にフロンティアがあるのです。