人間が願った神はいないけれど…。(再掲)

過去の宗教の多くは、やがて、人間は解放されて、バラ色の未来の時空が訪れると予告してきました。いまの世界をつくったともいえるキリスト教文明圏では、聖書の話で、救世主が現れて、すべての人間を審判し、耐え忍んだよりよきものたちが、神の国に入るというわけです。精神学が知る精神界の正しいデータは、そうした甘いお話ではなく、目覚めたひとりひとりの人間が、その人間の小宇宙の救世主になりなさい、ということでした。この知識に出会って、自分は救世主などにはなれないと思うのが普通の人間です。それは過去二千年の歴史に、イエスの十字架を含めて、覚醒し、神のお役目を担う人間の不幸が、無数に刻印されているからです。歴史を正しく学ぶということは、イエスの十字架の恐怖から解放される道だというのが精神学の立場です。それを知れば、恐怖心こそ、邪悪なこの世の支配者が、永遠に、人間たちを、自分たちの支配下に置いておくために、長い年月をかけて、つくり上げてきた、正しい光への防御システムに過ぎないとわかります。このことが、分ると、人間世界で、一気に覚醒が進むはずなのですが、まだ、この世はそうはなっていません。それほどこの防御システムは固いということです。