現行人類の存在のテーマは、この宇宙の存在のテーマを、人知というか、人間の意識エネルギーの領域に移すことなのではないか、と私は考えています。そのためには滅びの物語をくり返す、いまの人間世界を規定している神の物語を読み終えねばなりません。そして、どうやら、それも終わりに近づいていて、この物語は、この宇宙開闢の前の契約という概念にまで行き着くことが、精神学の立場では理解されています。この契約が成就するのが、その日、その時、といわれてきたタイミングで、それは一般に最後の審判と同じと考えられています。ここで、人間の身体こそが審判の容器であるという、精神学に与えられた知を重ねると、審判は、ひとりひとりの人間で進行し、地球上の全人類が一気に審判されるわけでもないことがわかります。つまり、審判の容器となった人間は、すでに現行人類とは別のサピエンスに進化したということです。その人間は神知と人知を統合した存在となるはずなのです。そこに、ニーチェやナチスドイツのオカルト思想が想定した未来の人間の姿としての、超人類の姿はありません。人間が神に求めてきた愛という波動、もしくは光を放つタイプの人間が地球上に姿を現すのです。