はじまりの次の次の日に。(再掲)

この二十一世紀初頭の地球上では、貧富の差がどんどん開いて、聖書の神や日本の神々が約束したマネーの暴力から解放される日は永遠に来ないとも思える世の中に、いまの人間は生きています。

このままの世界が、人間とその人間を支配している存在のために存在し続けることは、あり得ないことだと、少なくとも自然を観察することができる人間なら考えるはずです。つまり、現行文明のもとでは、人間は自由を失い、何か大きなものの監視下で生きて行かざるを得ないという運命のもとに置かれています。なぜ、こんなことになったのかを、神と共に、あるいは精神界という場で考える人間が出なければ、はじまりようがない、という時空に、この地球は長い間、閉ざされていたということです。しかし、地上に置かれた多くの宗教的予告は、やがて、人間はこの不幸な時代を卒業して、次の世を迎えられるというものでした。ところが、宗教家は、人間を支配する側のものとなり、その希望はどんどん遠のいてきました。この人間世界の不条理を神に問い続け、地上で働くことを望んだものたちが先人としていて、精神学という言葉を天から授けられる人間が生まれたのです。そのたましいの中に、あるプログラムが宿されていました。