神の名のもとにマネーを。

この地球の過去の血塗られた歴史が示しているのは、神という意識体の名で支配したり、奪ってきた、原因に何があるのか、なのです。その答えは、聖書という書物は、はっきりと記されています。それが、わたしは妬むものである、という自己申告です。このことがあって、その神のエネルギーが人間というもののたましいのもとに供給されて、この暗黒史があるのです。それは、神自身が、自分の罪深さを現実の歴史の中で、告白しているといってもいいのです。その一方では、その神は、やがて、人間はミクニと呼ぶべき世で、生きることができると約束しているのです。そして、いまの地球の姿を見て、誰でも分ることがあります。この世の悲惨を増幅しているのは一握りの金持ちが、世界の富のほとんどを独占しているところから、生まれているということです、その富を握っている人間グループたちは、神の名ではなく国家という名のもとに、いまはマネーという数字をつくり出していますが、もともとは、エルサレムの神殿の神の名のもとにあったものなのです。聖書の時代が終わるということは、このユダヤ・キリスト教文明がつくり出したマネーという怪物を、改めて神の名のもとに置くという試みがはじまることも意味しているのです。