この物語宇宙の物語の第一章が、一神教の神、または、イエスの十字架というものの宇宙的な意味が、マクロコスモスとミクロコスモスの相関を人知で理解するところで終わりました。それが二千二十一年のことだったので、精神界は、この年を神紀元年と位置づけて、そう呼んでいます。つまり、西暦というものは、二千二十年で終わったということです。いまの地球上に生きている人間のほとんどは、すべてを独占したいという思いの強い一神教の神の物語のエネルギーを、そのたましいのルーツに持つので、そのくびきから逃れるために、審判というテーマに向き合っています。その審判というテーマをミクロコスモスで解決できた人間のたましいが、次に何に出会うかというと、宇宙の暗黒面、文学的な表現をするなら、はてしない虚空を前にたたずむブッダの姿です。最初はブッダひとりでしたが、いまは複数の人間意識が、そこにあります。ブッダは一神教の神という問題を、地球が背負う前から、そこにたたずむ存在でしたが、精神学の世が来て、そのブッダの立ち位置に、生きている人間の意識が、到達することができるようになったのです。その位置では精神界と物質界が、新しい理論的統合のもとで、この宇宙の真の姿が見えるはずなのです。