神から科学へ、そして、ブッダへ。

聖書の時代というのは、人間のたましいの原型が、「わたしは妬むものである」という神に由来する人類の時代、ということです。これが人間の妬み深い、欲深い、意識活動のもとにあることに気付き、これを克服しない限り、人間は、闇の欲望と、別な闇の欲望に動機づけられた戦いの循環の輪から、抜け出すことはできないのです。その神の問題を波動の面から解決するために、無神論の立場から、この宇宙の物理法則を探求する必要があったのです。無神論で宇宙のほとんどの事象は説明できるのですが、まだ、論理は完成していません。その理論的な完成形が、見えつつある現在、実は宇宙の真実にいちばん近づいたのはブッダだったかも知れないというところにまで、人知は到っています。この科学の道をくる過程で、聖書の神という存在は、消えていくように見えました。いまも、聖書の神が人間の歴史に関与しているように見えているのは、聖書の物語の進行を人間世界で現実化しようとしている人間グループが存在するからです。その人間グループは、いまの地球の人間を支配しているように見えますが、実は、聖書という物語の結界の中に閉ざされた存在です。それは、見方を変えると現行文明は、彼らがつくったマトリックスの中にあるともいえるのです。