戦後日本人が、ここまで平和ボケしたのは、日教組教育のせいだと多くの人間が考えています。それは一面の真理で、実はその背後には、明治維新後の日本と朝鮮半島、そして中国大陸、さらには帝政ロシアとそれを引き継いだ旧ソ連との地政学的なエネルギーのやりとりがあったことが、ある占術家の死後、急激に表面化しつつあります。明治の日本人は、西欧列強に対抗するために、半島と大陸という黄色人種と呼ばれる人種グループとの連携を当初、考えました。それは、結局のところ、福沢諭吉の脱亜入欧という主張に変わるのですが、それでも、一部には、日本人、朝鮮人、中国人、満州人、蒙古人といった民族の共和を求める思潮が消えることはありませんでした。その背景には、江戸期までの日本文化に、チャイナの精神文化が大きく影響を与えていたというものがありますが、大陸と半島は、中華思想のままで、日本のリーダーシップは認められないものでした。ここに、明治の不幸があります。強い日本は、尊敬される対象ではなく、憎悪の対象だったのです。つまり、日本人には半島の呪いと、大陸の呪いと、共産主義の呪いという三重の意識エネルギーの投射が歴史的になされていたのです。それは、今も続いています。