人間は神の罪を背負う存在。

キリスト教の最大の欺瞞は、人間の罪をイエスが背負ってくれたと主張しているところです。聖書を正しく読めば、イエスは当時のエルサレムの住人の意で殺されたということが分ります。なぜ、このようなすり替えが起きたのかが、現行の人類のたましいのレベルでは知ることができないところに、神というものの正体が隠れているのです。一神教の神は、イエスを救うことができなかったために、イエスの十字架上の叫びがあるのです。ただし、この叫びがなければ、人間の祈りが、地球の闇をつき抜けて、正しい光のもとに届くこともなかったのです。その後の一神教世界の血塗られた歴史は、多くの悲惨によって、正しい祈りを、この地球の暗黒の重力圏から外に出すために、その神が仕組んだものといってもいいのです。そのイエスの十字架上の死の責任を負う神意識体が、この日本列島の神々に、その日、その時、までの契約で置いたものが、日本の仕組みであるといえます。その契約期限が来たので、日本列島に置かれていた記紀という神話に基づく、天孫族というべき神格の神々が、いま次々に退場しているのです。一神教の神という存在が、いまの地球の人間のほとんどのたましいのルーツなのです。つまり、人間はその内なる神の物語を読み解くために存在するのです。