やまと言葉は情、現日本語は理。

数学者の岡潔という人物は、思索の極限において、日本文明の特質を情という言葉で表現して、それを起点に、日本の西欧文明の超克の道を日本社会に伝えました。万葉集に、当時の文字を書けなかったであろう防人などの庶民の歌が収録されているのは、文字は書けなくても、歌を創り、それを朗唱するという芸術的行為を、普通の日本人が行なっていたことを示しているのです。今日的な見方をすると、その時代、愛し合う男女は、やまと言葉の和歌を、歌い合うことで、音波としては届かない距離を、縮めて情を交わすという超能力を発揮していたということです。つまり、情という波動は、距離を克服してしまう、ということになります。さらに、その波動は、たとえば千年後の人間にも、歌の音の波動によって、その情を再現することも分るでしょう。それは、時間の壁も克服したということになります。日本列島上では、そうしたやまと言葉によって、創出された、情という波動が常にあり、それは、神界語というルーツを持っていたがために生まれたものだったということです。そこに足らないのは、西欧近代をつくった論理系の波動だったと考えてみてください。その理の能力を日本語に附加するために、日本は開国したというのが日本神界のストーリーです。