オリジナルの発明や発見は外国であったとしても、日本人は、その製品や技術をソフィスティケートし、コストダウンするという応用技術の分野では優れていました。それは、日本人と日本文化に特有のものでした。ここから先は、私の日本文化論ですが、この西洋の物真似からスタートした明治以降の日本の生産技術の蓄積が、アジア諸国に移転されて、この二十一世紀のアジア経済圏の基盤がつくられたと考えるべきなのです。それは、マネーと技術の移転によるものだけでなく、人の良い日本人の技術者が、自分の知っていることを惜しげもなく教え続けた結果だともいえます。モノづくり大国の日本は、こうしてアジア各国に大きな経済をつくり与えたのだと、やがて歴史家は語るでしょう。こうした富と生産手段の移転は、アメリカやヨーロッパが、科学技術を独占していたら起こり得なかったことなのです。日本にとって、大東亜戦争というものの戦争目的は、敗戦後も続き、このように自国が貧しくなることで達成されたということになります。その結果、空洞化した日本列島が残ったというのが今の姿ですが、これで終わるのが、日本ではありません。実はそのための科学技術の情報が天にはあるのです。