アメリカの世紀であった二十世紀には、マネーと自由という魅力で世界の頭脳がアメリカへ吸い寄せられました。ヨーロッパでナチスによるユダヤ人迫害によって、まず、ユダヤ人の頭脳が集まり、次にナチスの敗北後は、有名なペーパークリップ作戦によって、ナチスドイツの軍事技術を支えた頭脳も集められました。この集めた科学技術の差が、もうひとつの大国になったソ連邦との冷戦を終わらせたともいえるのです。つまり、二十世紀の米ソは、同じ科学技術の基盤の上にあったともいえ、その時代でほぼ同じレベルの科学技術の基盤を持っていたのが日本でした。軍事技術が民生に転用されるプロセスで、科学を学んだ日本人は、それをローコスト化し、日本を世界の工場にしたのですが、その知識とノウハウを半島や大陸に提供し続けて、その立場を失いました。外国に学ぶものがなくなった日本国では、日本に学ぶことで成長した国家との競争を諦めて、それらの国に製造工場を移転する動きが加速し、国内は空洞化しています。外国に学ぶものがなくなった日本人には、未来がないというのが、いまの姿です。ここからスタートして、新しい科学技術の分野を日本人が発見できるかどうかが問われているのです。