罪なき子らの時代へ。

キリスト教は、人間を原罪という概念で縛りました。それは、神の罪を人間も背負うという精神学の理解ではなく、イエス・キリストだけが無原罪で、その他の人間、つまり、男女の間に生まれた人間はすべて罪人というものでした。私が宗教の時代が終わるといっているのは、イエスの父が、イエスを十字架から救えなかったという精神界の秘密を開示した、当然の結果なのです。その情報開示があって、バチカンの権威は地に落ち、このまま行くと、有名なマラキの予言が現実化するかもしれません。人間のたましいは、神のわけみたまという日本にある知識でこの世界を見ると、イエスの時から二千年の時間をかけて、神意識体は、この地球上の七十数億人という人間に振り分けられて地上の人間界に降り、これから、その光と闇の分離がはじまると考えられるのです。これらの知識を一神教の文明圏の人間は持っていません。しかし、この問題が解決の方向に動き出すと、神の罪を背負っていないたましいを持つ、新しい子供たちが地上に生まれるはずなのです。正しくは、すでに、そうした子供たちが生まれているというのが私に知らされていることで、彼らのために必要な知識が、精神学なのです。