食べものが人へもたらす影響 Vol.0

新しいタグ【魔界の食べもの学】というものを作りました。
今後、魔界の食べものについて書いていく時はこのタグをつけていきます。

さて、魔界の食べもの学というこのタグをつけるに当たり、食という文字について正しく認識しておきたいと思います。

 

「食」という文字は、「人」に「良」いから食だ…
と色々な場面で言われておりますし、私も実際にそのようにお話したりもします。
しかし、まぁ…実際には違います。
上記のようなこじつけをしてお話すると、食に意識を持っていただきたい方にはとても話しやすいので、そのようにしております。

実際には大きく違います。

『食』という文字は会意文字です。
(※会意文字:既存の複数の漢字を組み合わせて作られた文字のことです。意味を持つ漢字を組み合わせて、別の意味を持つ漢字になります。@漢字辞典)

『良』と『人』の二つの象形文字を組み合わせて作られた文字です。
『良』は穀物が器に盛られている様を表し、『人』はそれに乗っている蓋を表しています。「人(ひと)」を表しているわけではありません。穀物の入った器に蓋をして調理している様子を示しています。

単なる穀物が『食』べられるものになるので『食』となります。

 

なので、【魔界の食べもの学】という言葉は、明らかに人に良くなさそうなものでも『食』となりますので、ご了承くださいませー。

 

人に良いものを知るには、同時に何がそうでないのかを知ることで、より深く追求できると考えます。

このタグとタイトルをつけたコラムでは、私の目線と感覚から見えるものを書いていきますので、人とは違う感想を持つことが多々あると思いますが、何かの参考やお役に立てましたら幸いですし、また皆さんの感覚感想をいただけましたら参考になりますので、ぜひお声をお寄せください。

なお、私は他の方と比較するとちょっと嗅覚が鋭く、そこに合わせる形で味覚も若干ですが、鋭い方だと思います。
やたらと細かかったり、人にとっては気にならないものが私には気になることもあります。
これは自慢などではなく、逆に子供の頃はこれで苦労をした方がはるかに多いというのが本音です。
家族の誰もが気にならない味や臭いなどが、私一人には辛くて食べられない、残す、ということで、我が儘とみなされて親から怒られることもありました。
また、小学校中学年頃までは、電子レンジにかけた食べ物が食べられませんでした。
特定のいくつかのお野菜が、庖丁で切ると食べられませんでした(丸かじりは平気)。
スーパーから買ってきた慣行農法のお野菜と、祖父母の育てた無農薬のお野菜の見分けが、同じ籠に入っていてもつきました。正確に祖父母のお野菜ばかり選んで食べていましたし、料理されたお野菜でも祖父母のものでないと美味しくないとぶつくさ文句を言っていたそうです。
今でも電子レンジは基本的に使いませんし、トマトは丸かじりが好きです(今は切っても食べるけど)。
それから、お水が水道水か井戸水か、においや味で瞬時に判別出来ました。
今でも水を飲むとざっくりとですが、硬度がわかります。

あと最近では、本業のかつお節屋さんとして、これは本枯節だけに限りますが、かつお節の匂いでかつお節の質や熟成の具合が大体わかります。(社長は目で見て、手で触ってわかる。匂いでは全く判別できない)

こんな、ちょっとだけ人と違った特性があります。
子どもの頃はアトピーもあって食べるものが限られていて、だからこそ食べられる幸せを噛み締めていました。

 

食べられるものが限られているのに、口うるさい子供が食べたいものを食べられるようにしてくれていた両親と祖父母には、感謝の言葉もありません。
今の味覚を育ててくれたのは、間違いなくこの環境です。

 

自分の経験から、子どもの味覚というものは、生存本能と直結していると考えています。
味覚は大体15歳までに完成されるといいますが、それは肉体的に二次性徴がはじまる辺りで、身体も完成に近づいているあたりです。それまでにいかに「人にとって良いもの」を食べさせるかというのが、その後の豊かさにもつながるのではないでしょうか。
嗅覚も同様に、本能の強い子供のうちは鋭い人もいます。
子どもが特定の食べものや料理を食べないことを、単なるわがままや好き嫌いと叱らずに、なぜなのか?と大人には真摯に向き合って考えてほしいのです。

子どもは本来は、本能的に自分に良いものを選ぶ能力が備わっています。
それを潰さないためにも、魔界の食べものと、その影響を理解しておくことは大切な事ではないかと思います。

ということで、次回からそんなことも書いていこうと思いますー。