通信-10年1月31日
Tuesday, February 2, 2010, 14:28
(2010.1.31 pm4:57受)
つなぎめの はざまのなかに
きき おとしたる うみのおや
きけ みなともへ
あたらしき ちしの みなもとへ
さた(だ)かなる あしをとの みち
くりかえし を たちきるために
うつし よの ともに あらん
かいの こ
かき たちぬるは
けふの みや
おつるもの とも
かひなき ものに
うこき たまはりなん
きこしめし なん
まちは(わ)いた ものの
たち ぬる その ありさまを
きかしめし たりなん
うこかし たまはりなん
うるく ともに あり
はり たち たまはん
かひ なき あしをと
たたつ(ず)む ために
はるかの くに そ
きかしめし たまはん
あひ(い) たちぬりて
たちぬりて うるく の
もと へと かへし たまはん
をのぞみの もの
たまはりて く くる
くくる
くくりの あり や
たまはりた ものを うごかす
ため に
まひ たちぬりて
たちぬりて さたかなり
さたかなり
あひ(い) ともに あり
みな も たち
あは(わ) うつしたり
かかん のん てん
かかん
のん
てん
通信-10年1月29日
Tuesday, February 2, 2010, 14:26
(2010.1.29 am10:10受)
自らが、自らの意志で
自分自身を
変えてゆく、ということ
(2010.1.29 am11受)
向き合い
知り 担い
乗り越えてゆくしか
ないのです
(2010.1.29 pm0:25受)
敵は 汝のすぐ眼前に有り
汝(なんじ) その自らの
中に有る
自らを けだし
自らを そしり 憎しみを
抱くものは
汝(なんじ)その姿なるを
知ることも なき者也(なり)
聞き耳を そば立てて
ものの有りかたなるを
とらえようと
し つるものたちは
はるかなり かなたより
近づきつつある その足音に
気付くことは なきものたちなり
耳をそば立て 聞くる(来・来る?)
ものたちは
そのみちの ありようを
知ることは なき ものたちなり
こわねの いとを
ゆるやかに ほぐすことの
可(か)なる もの達は
全てが そのために 用意が
なされ
予め(あらかじめ)その 契約のもとに
定められたる いとのこを
つくり出したるもの なりけり
学びを 経(へ)たものたちは
その おのずの持ちたる
小宇宙を 手離し
開かれたる扉を越(超)へて
みちを 切り開きたる
ものたち なりけり
聖なるかな
はるか かなたよりの
祝福を受け
みち ひき給へ
みち ひき給へ
聖なるかな
聖なるかな
通信-10年1月8日
Friday, January 8, 2010, 17:00
(2010.1.8 pm0:35受)
人間が本来持ち得ている
治癒能力を活性化させる
仕組み、はたらき
施術をほどこして治癒をするという
おこない、行為ではなく
それぞれ個々のにんげんが
本来ならば正しく機能させることが
可能なはずの自動再生機能のようなものが
スムーズに はたらき出すために
その人間のはたらきを阻害している
要因を外し除去をする はたらき
ほとんどの 人間が 勘違いをしているのは
自らが相手に対して
“良い影響を与えてあげる” あるいは
“与えてあげている”という自負のようなものを
持っているものだという錯覚
それらは そのおもいを 相手に
送り込むことによって 相手の身体や
意識の状況を改善をして「あげている」
という思い込みの範疇(ハンチュウ)でしかないという
ことである
これまでに多くのにんげんが
対象物に対して 自らが何らかの
善行をして「あげている」というルールにより
その、自らと対象物との間に
何らかの利害関係というものを
自動的に無意識につくり出し
それらの関係を保つことに
さらに多くのエネルギーを使い続けてきた
ということを 自身で認識をしている人間は
ほとんど 存在をしていない
無意識であれ 意識的であれ
にんげんという種の 生きものは
多くの人間の より上位に立ちたいという
その欲望を満たすために
ありとあらゆる方法を使い続けてきた
それらの多くは
その存在のなかでの無意識領域
つまり 目には見えない
その、責任を問われることが無いと
思い込んでいる 意識下においての
ツールを使い
その他の人間の上位に立つことを
自らのみが許されたという
自らにとっての都合のよい認識により
他者を 自らの支配下に置く権威を
与えられているという判断により
支配と権力のルールの歴史を
つくり続け そのルールの継続を
望み続けてきた
自らの 生存期間内での栄華とともに
生き続け 支配者として君臨するという
権利を自らが持ち得たとの思い込みにより
それらの永遠性を保つことに
エネルギーを注ぎ続けることになる
悲しきかな それらのもの達は
自らのたましいの ゆく末と ゆく先を
知ることはない
そもそも 「責任」ということばが意味する
本来の正しき意味を知ることはなく
自らの権威を保つこと それ自体が
自らの責任であるという 当人にとっては
正当な理由付けが その存在のなかに
存在をし続けている
栄華や権威、地位というものが
大きな鎧のようなものとして
その存在の たましいを覆い
本来 まっとうするべき 正しき にんげん
としての 生存と 存在のあり方を
全く 見えないものとして 生き続けているということを
本人だけが自覚をすることの出来ない領域で
覆いをかけられた 自分だけの
ミニシアターのなかで、自分にとっての見たい
映画のみを み続ける という世界観のなかで
生き続けることに 努力をする
つまり ちいさな囲いで覆われた
自分だけの ミニシアター
それが 見たいものだけを 見続けようとする
小宇宙と言われるものの 正体である
その 囲いや 覆いを
外す ということは
様々な情報が ダイレクトに意識にあがり
処理能力が 伴なっていない場合
意識を病むか 身体に変調をきたすか
いずれにしても 外から入って来るものの
影響を受けることになる
通常のにんげんが あり得ないと
思い続けている
種(シュ)としての にんげんの潜在能力
というものが開花をする ということ
その 正しき 情報処理能力を
持ち得ることが 可能であるならば
DNAレベルでの 進化と言われるものが
加速をすることになる
ゆるやかな 進化論の 時間的経緯のなかの
ある分岐点において
ある存在の 意 を知り得るものが
その到達点の 行く先を 知り
自らの存在そのものの 基盤であるともいえる
たましいと呼ばれるものの存在意義を
認識し その責務を担うことを 望むもの
あるいは 正しき 契約下のもとにより
開花をさせることの出来る 能力
と 言われているもの
それらの存在を 懐疑のまなざしで
見、そのちいさな 自らが正しいと思う小宇宙内での
情報網や常識の域からしか
物事を判別、判断が出来ないものにとっては
信じ難い領域の お話でしか ない
つまり 責務を担い 進化への道すじを
選択するのか
あるいは それらの責任というものを
はじめから無いものとして 自らだけの快適な
小宇宙内での 幕切れを 望むのか
それが 個々の存在としての たましいに
問われているだけ の お話でしか ない
契約の概念を 持ち得ていないものにとっては
耐え難く 受け入れられることの出来るものではない
各々(おのおの)の にんげんに
その 自由な 選択は 与えられ
その判断は 委ねられている
つまり 上昇するのも自由
落下するのも 自由であると 伝えている一節が
そのこたえとして、 与えられている ということである
はじめから 世のはじめから
こたえは そこに用意がなされ
ある時 ある意志の存在のもとに
この世と呼ばれている 次元と時空の
存在のもとに 置かれることになる
という その分岐点に 立つものとして
その生を まっとうするものとして 存在をしたいのか
あるいは 否か が
問われている ということである
それが 個々の物語としての お話であり
用意である