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通信-08年10月22日
Wednesday, October 22, 2008, 16:47
(2008.10.22 pm3:45受)

たましいを どこかへ持ってゆかれたら
ひとは 生きる 屍(しかばね)じゃ
屍の むくろ と なりぬる
その みかけらの ひかりの つぶ
とり いで出したる
その 姿かたち

通信-08年10月22日

Wednesday, October 22, 2008, 16:47
(2008.10.22 pm3:45受)

たましいを どこかへ持ってゆかれたら
ひとは 生きる 屍(しかばね)じゃ
屍の むくろ と なりぬる
その みかけらの ひかりの つぶ
とり いで出したる
その 姿かたち
ともに 生き ともに死ぬる
あらわにされる その生き様(ざま)の
すべて
見まごうこと なかれ
あらしのち 生き たもう
見つけ出したる
たまの ひかりの ゆえん
みも こころも ひきちぎられて
売り渡しさへ できぬもの
きた かひつけの
諸々(もろもろ)の
くつわ あしかせ
ともにあり
狂ほしくとも
さすらふは
けふに 急ぎし
死にとびと
がんくつ(岩窟・巌窟)王の
よはねのね
きくみみ さへも
持たぬ もの
何を 見て
何を 見ず
九死に一生をえたとして
何を 得て
何を 得ず
いただきの 無(亡)き その姿から
学ぶもの とは
これ いかにして
風前の灯(ともしび)たる
その ありよう は
何ゆへに
何がため
とらわれの もとたる ものに
気をとられ
こころして向かふべき その道のりの
ゆくへを知らず
いまと なりては 遅過ぎし
きく耳 ありや
その なりや

通信-08年10月16日

Thursday, October 16, 2008, 14:16
(2008.10.16 pm1:06受)

“ご伝言を、お持ちしました”

ネパールか、ヒマラヤ(?)に
行って来て、
それらの施術を
受けたのは、
一体、誰のこと
でしょう、
解答は、既に
出ているはずの
ことです。
それらの情報は
知られたくは
ない、と思っていても
本人の意図せぬ
ところで
相手には
伝わります。
さっさと処理
をすることが
必要なことで、
それらの情報を
もとに、相手を統治
してきたものが
宗教というもの
なのです、

ひつく文書-08年10月10日

Saturday, October 11, 2008, 12:35
(2008.10.10 am11:07受)

きよ と
きよ と

(2008.10.10 pm0:10受)

まる を えがいた
おひめさま
あたまのなかに
はいりては
いろいろ おしゃべり
するじゃろう
とらわれるな と
いうてても
そのないようは
きに かかる
なに を いわんと
せしめして
いしきに はたらき
かけるのか
とおい きおくの そのなかに
はいりて じかんと くうかんを
つなげ あわせて
つむぐ もの
つむいだ いとで
おりものを おりて
あらわす カタチ とは
かんせい せねば
全体を あらわすことなど
できぬ もの
くう の き
ち の き
おりまぜて

(2008.10.11 am11:53受)

ついに あらわれ
なさった な
とうめん の あいだ の
きょういく がかり を
なさる ようじゃから
あわてず うろたえず
冷静で あり続けることの
重要性を さいど
かくにんして おいて
あげて ください
しん と み は
つねに いったいのもの
である 必要が あり
はいってくる 情報によっては
やみの存在の カタチで
あるものも ある
しんの いしを
みを もって、 あらわすこと
それが もとめられて
いる
処理 できる 範囲内のもの
しか はいっては こない
逆に 言うならば
ポテンシャルの 高い ものには
それ 相応のものが
課せられる ということ
それは もう お気づきのこと
であるはず です
正しく 処理を する
その 方法 を
学び なさい
成すべき ことが
何なのかを
既に 知っているはずの
ことです

(2008.10.11 pm12:53 上記受信より)













通信-08年10月9日

Thursday, October 9, 2008, 18:20
(2008.10.9 pm5:53受)

わななきて
おののく
その すがたかたち
そのものが
とらわれの み と
ならぬよう
しっかりと ハンドルを
握る手を ゆるめる
ことの なきよう
その いみ
ないように いしきを むけて
その 解析を しようと
している 限り
それが とらわれの 身、
ということに なっていることに
気が付かないと
本末転倒
する べき しごと
とは 社会のなかで
ひととして 仕事を 持ち
はたらく ということ
受け取ったものを 出力し
データ として 処理をする
その すべを 学んで おかないと
ただの つかわれるもの
としての 人生を
歩む ことになる
とらわれていては
いけない
その伝達回路 というものが
つながり、 受信が できるように
なった だけの こと
届いたものは データとして
排出をされれば
ある程度の エネルギー というものは
減少する
その残存物が
あるようならば
浄化をし 処理をすれば
済むだけの はなし です
ひとの あたらしい カタチ
の あり方 という 姿を、
みずからが 体現して
生きるよう プログラムが
なされていた
というだけの 話です
おわかり いただけましたか、な

ひつく文書-08年10月8日

Wednesday, October 8, 2008, 15:46
(2008.10.8 pm1:33受)

いきがみさんより
ごでんたつ
おおきな わっかの
そのなかに
はいりて ぐるりと
まわすもの
きうちの そのちを
すくう ため
おもどり なさった
いうことじゃ
どっちにしたって
やくわりを おわされ
うまれ ついたもの
ようやく なんぞの
はたらきを
する とき きたと
いうことじゃ
とうとい もの とは
なんじゃろか
それを しょわされ
はたらいて
なんぼの タネ が
まける かの

ひつく文書-08年10月4日

Tuesday, October 7, 2008, 11:55
※精神学協会「命の書」に登録された
 ある人物の死に際して届けられた
 ひつく文書

(2008.10.4 pm5:05受)

たすけて もろうた ひとたちに
なんぞの かえしが したいなら
そのひとのため いのること
ひとは みかけに よらぬもの
みとめられたと おもうていたら
おおきな まちがい
ふむ ことになる
きこえて おるか おらんかの
みとめて もろうた そのさきに
まっているのが なになのか
だれも よそくは せんじゃろが
みみの あなを かっぽじって
よく きくことじゃ
せんせいに おしえてもろうた
ないようは じっせんなくば
いみはない
きく みみを たてること
すがた かたちに まどはされていては
ならない
つくりだしたもののように
おもえるときも ある
いしきのなかの なにものか が
ことばを はっして いるのでは
と いう おもいが
こうさく し なにものが
かんよを しつづけているのか と
いう ことじたいに とらわれる
いかなる もの が
その じょうほう でんたつを
しているのか
はっする ことばのなかに
それらは あらわされる ことになる
みみの あるものは ききなさい
いくつかの だんかいを へて
もたらされる その じょうほうに
含まれる いみ と いと
もうじき おおきな うねりが
やってきて
しかと めを ひんむいて
まえを みつづけていないと
あっというまに
あしもとを すくわれて
なみにさらわれてゆく ことになる
その なみ というものが
どういった たぐいのものなのか
を よく かんがえること
ひき しおの きょうだいな
エネルギーに のまれ まきこまれないよう
みずからの あしで
しっかりと たつことが できなければ
いきつく まもなく さらわれて
うみの もくずと なりぬるものに
ふんばる あし とは
だれのもの でも なく
みずからの あし
しゅじんが もんばんや めしつかいたちに
しごとをあたえ やくわりをあたえもたせる
ことの いみを はあく しておかないと
みずからの する べきことが
みずからが わからない という
もくてきふざいの じんせいを
おくりつづける ことになる
それが つぎの(次、継ぎ)よのために
なることなのか どうなのか
だれかの なにかの やくにたつ
はたらきなのか 否なのか
それらを ちゅうしんのじくに もち
つづけないと よこからの あつりょくを
うけたときに いともたやすく
たおれることに なる
はじめから なんども なんども
おなじことの くりかえし
もっともらしきことだ
と、 なっとくをしながら
ひとは それを じっせんしようとはしない
なぜならば みずからが はたらくことで
そんを する という かんがえかたしか
できない にんげんが おおい から
ただしく ひととしての じんせいを
まっとうした たましいは
その すべてが しるされて いる
たにんのために はたらいて
いっしょうけんめい どりょくをした
にんげんは その あたえられた
たましいの しめいを
まっとう できた もの
じぶん いがいの だれも
そのじじつを しらなくとも
その たましいには そのじじつが
こくいん されて いる
あたえられた いのちを まっとうする
こと とは ほんらい あるべき
ただしい そのいのちの ありかたを
みずから じしんが どりょくし
そのからだを もって あらわすこと
それが 「いしを たいげんして 生きる」
ということ
しるされた じじつ のみが
あらわされ かいじ される
かくされたり まっしょうされる こともない
その じじつ を もとに
しんぱんを ききゅう しますか
しませんか
それが とわれている だけの
はなし である
さいごまで あきらめずに
どりょくを しつづけた そのけっか
もとめていた こたえを えられなかったと
しても そのけいい という じじつ
そのものが こくめいに きざまれて
いることを わすれては ならない