<第四章>その四

第四章 宇宙は神の揺籃ということ

その四)宗教の終わりと宇宙

人間は、ミクロコスモスという知識は古代からありましたが、イエスの十字架に象徴される聖書の時代は、人間は、わたしは妬むものである、と宣言している神の問題を解決するための容器と位置づけられたのです。これは、地球との契約でもあり、聖書の神の問題は、同時に、宗教の問題として、人間の歴史を形成することとなりました。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、もともと、ひとつの神から生まれた宗教で、この一神教の問題が、約二千年に渡って、人間の意識活動の背後にあったエネルギーの供給源でした。仏教の出発点は、一神教とは別でしたが、仏教も宗教化する過程で、キリスト教の教えを、その内部に吸収し、やがて救世主のようなものが出て、人間は救われるという道を示すことになりました。それは、開祖の到達点とは別な教えで、その出発点にあったほとんど哲学的な思索の態度も、仏像をつくり寺院を建立するという宗教教団化するのも、一神教の宗教エネルギーの影響でのものと考えられます。この宗教の時代が終わらなければ、正しくは一神教の神の限界を超えなければ、人間の知は、その限界の内部に閉ざされ続けるという意識が宇宙の大きさを規定することを見抜いたのが、仏教の開祖だったのですが、それを達成したのが、「最終知識」に続く、光文書というものの時代だったのです。

(つづく…)

二千二十三年 三月十七日 積哲夫 記