第三章 人間は審判の容器ということ
その九)人間意識の宇宙
動物の脳は、知らないものを認識することはできません。見えないものはないという行動の典型が、危機に遭遇した時のダチョウの対応で、頭を穴に突っ込んで何も見ないようにするというものです。人間の脳の反応も、これと同じで、対処できない問題に出会うと、思考を停止します。この人間の無反応化の典型が、スピリチュアルなエネルギーへの対応で、霊感のある人にとって霊界は認識対象ですが、それがない人にとっては認識の対象外で、それはないものと判断されます。もし、人間が古くから伝えられてきたような、ミクロコスモスであるならば、人間の意識にマクロコスモスの情報が投影されない限り、正しいミクロコスモスとはいえません。そして、人間の意識は、宗教と科学の時代を経て、自分達がほとんど何も知らないことを知る、というギリシアのソクラテスと同じ所に帰ったというのが、いまの人間の意識と宇宙の関係なのです。95パーセント以上のことを知らない宇宙を投影された人間という容器で、ほんとうに審判というものが起きるのか。そういう問いに、これから人間は向き合うことになるのですが、その答えは、精神学の立場ではすでに出ています。科学が、その限界を知り、人間の意識が改めて神というか審判を希求する方向に向かえば、それは起きるのです。そこには量子論と人間の認識の出会いがあるといえばいいのでしょう。
(つづく…)
二千二十三年 二月十日 積哲夫 記